2008年10月31日

血液検査の結果は?

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P1000331.JPGいつもここには過去の偉人の写真を掲載するのですが、今日の人物は知らない、この人誰なの?って思いますよね。何を隠そうこのブログの発信者「Koumei」自身です。今日の仕事先で撮ってもらったものです。何故、ここに出したのか?最近、会うたびごとに“痩せたね”って言われ続け、“どんだけ〜”痩せたのってことで今の自分を残しておこうと出してみました。

糖尿と言われほぼ10年、その間に75キロあった体重が3段階位に減り続け、今や62キロなんです。ダイエットもしないで自然にですよ。これは良からぬ兆候なんでしょうね。私の知人で同じ糖尿で通院してる方がいるのですが、その方は痩せないんです。何故か?間食が我慢できないというのが痩せない原因だとか。私なんか普通に食べて、間食もしてるのに(本当はいけない)痩せるんです。皆さんからは何か努力してるの?と聞かれますが・・

この頃、体もだるく目もしょぼしょぼして気になり極力歩くように努めていたんです。因みに最近の歩数をここに書いておきましょう。

今日、今現在 8312歩

1日前 11152歩

2日前 2094歩

3日前 3431歩

4日前 3009歩

5日前 5638歩

6日前 3492歩

7日前 6477歩

かなり意識しないと歩いていないもんですね。しかも効果的なのは食後に上昇する血糖に合わせた時間帯の“ウォーキング”なんですよ。これがなかなか出来ないし、効果もみえてこなかったので、10月27日に血液検査をしてもらったという次第です。

今日、夕方クリニックに行ってきました。結果は?カミさんには内緒なんです。数値はね。「ちょっと気になったから、1年半ぶりに薬もらってきたよ〜」程度ですかね。(隠さなくてもいいのに・・ね)それは普通に晩酌したいのと、余計な心配させたくないので・・

結果として実は10年程前に検査入院した時よりもかったんです(ガクッ)。人間には“自然治癒力”があるんだから何とかなるんだ。と1年半。でも、ならなかったんですね。やっぱり、薬が必要なのかもしれない。気持ちだけでは治せないんだ“糖尿病”は!!以前より真面目に、規則正しく生活しているつもりだったのにな〜(つもり?)。

後々のために今回の数値を留めておこう。

@ 中性脂肪 通常は30−149が375

A 総コレステロール 通常は120−219が228

B ヘモグロビンA1c 通常は4.3−5.8が10.6

C 空腹時血糖値 通常は70−109が396

以上が通常より高い私の“今の健康状態”だったのです。特に、3番4番が怖い。このままだと”合併症”にもないりかねないから。10月の最後にはもっとハッピーな記事を書きたかったと思いましたが、このブログは“自分自身”でもあります。先日ある方のブログをみて、感じました。それは何か?「インターネットは顔が見えないから“ウソ”も沢山ある」と。そう、誤魔化すことも出来るんですね。でも、私は誰が見ていようがいまいが、伝えられようがなかろうがあるがままに発信していきたいと始めました。それは今も変わりません。もし、近所の方が私のブログを見て、「嘘つき」とは言われないブログを残したい。だから、顔も出すんです(こんな顔でも・・)。

いつも私は“自業自得”と言います。良いも悪いも自分の行いの結果なんだと。明日からは新しい月になります。次は自分の健康に向かい身体にいい“原因”を積み重ねることを自身に決意し、後日結果発表が出来るよう今日を締めくくりたいと思います。

読んでいただき、「こんなのがいいよ」というアドバイスをいただければなおさら嬉しいです。では、次回の報告を楽しみに・・

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2008年10月30日

日本シリーズ勝つのはどっち

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今年のプロ野球もあとは巨人―西武の日本シリーズをもって終了となる。果たしてどちらに軍配があがるのだろうか?ともにチーム総得点と総本塁打数がリーグトップ同士の戦いなので見どころも多いシリーズになると思う。巨人も交流戦の時よりも強くなっているので、西武は若手中心の投手が抑えるとそのまま勢いに乗っていくのかもしれない。いずれにしても投手陣の出来いかんではないだろうか。

今年のシーズンを振り返って思うのは、前半あれだけ2位以下を離していた阪神が最終盤に失速し優勝を何故、逃したのだろうか?その責任をとって?岡田監督は辞任。決して監督だけのせいではないと思う。気持ちに油断があったかはわからない。ただでさえ力がある巨人が気持ちの上で「団結」したのでは太刀打ちできない。終盤の巨人戦に勝てなかったところに阪神の限界があったのか。最後は“執念”の差か。

皆さん忙しいからもう「星野ジャパン」のことは忘れているのでしょうね。あれほど優勝候補と言われながら、韓国を筆頭にキューバ、アメリカ相手に0勝5敗と惨敗して、4位という不本意な成績に終わった「星野ジャパン」の“敗北の因”はどこにあったのだろうか?

星野監督の采配についてはいろいろ言われている。本調子から程遠かった川上を起用し続けたのは、明治大学の後輩で自分の中日監督時代によく働いてくれたから。その川上が、銅メダルのかかったアメリカ戦で致命的な4失点を喫した場面は、星野監督の選手起用が情に過ぎたことを象徴いてはいなかったか。

抑えの岩瀬も同じである。明らかに不調だったにもかかわらず彼を重用した理由も、中日監督だった自分を男にしてくれたからである。

その岩瀬を韓国は徹底的に研究し尽くしていたという。左打者の内角を突く球がないことに注目し、どんどん踏み込んで打たせ、対岩瀬は8打数4安打と攻略してしまった。

何故、今、調子のいい選手を起用できなかったのだろうか?そればかりは星野さんでなければ分からないことなんだ。勝つための何かが欠けていたんだろうな。

一方、優勝した韓国は、メダルを獲得すれば兵役免除というニンジンに加え、国内リーグ戦のマウンドの高さや土質の硬さ、使用球、ストライクゾーンにいたるまで国際試合仕様にしたという。しかし、それ以上に大きかった要因は、五輪期間中の国内リーグ戦を中断したことで、現役監督が存分に采配を振るえた点であった。金監督は・斗山ベアーズを率いて優勝争いの真っ只中にいて、勝負勘は研ぎ澄まされていた。また、金監督はヘッドコーチこそ斗山ベアーズの腹心を連れてきたが、あとは他球団のコーチたちを登用した。決して“お友達内閣”ではなかったのだ。

星野ジャパンは田淵幸一、山本浩二両コーチの起用を、「友人だからいいたいことを言い合えるんだ」と言っていましたが、このお友達内閣に緊張感は欠けていなかったのだろうか?

例を挙げると、予選のアメリカ戦の6回、田中選手はすでに3アウトを取っていたにもかかわらず、次の打者に初球を投じてしまい、スタンドや記者席から「チェンジ、チェンジ、4アウト」の声がかかるまで監督、コーチ誰一人気付かなかったというお粗末。

田淵コーチにいたっては、「低めは捨てろ、高めには手を出すな」なんていう。あとはどこですか?打ってくださいと真ん中にくる球を待つのでしょうか?国際試合でそんなところに投げる投手はいませんね。そんなことだから、ナインからは失笑を買った挙句、最後は無視されていたそうです。

監督、コーチがそうであっても選手が団結できればよかったのだが、それも叶わずじまい。名キャプテンといわれた宮本選手も初戦のキューバ戦で2併殺をくらって以後、ベンチから出ることはなくなった。
やはり、試合に出て、率先垂範のプレーをすることができなければ、アドバイスも遠慮がちにもなるだろうし、他のナインも耳を貸さなくなるのだろう。

勝敗を分けるのは単に技術だけではなく、“執念”がものをいうのだ。巨人と西武どちらが“執念”をもっているのだろうか、楽しみでもある。

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2008年10月29日

読書週間ですよ

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読書週間がスタートしました。初日の27日は「文字・活字文化の日」として、多くの人々に読書の楽しみを伝えるイベントなどが、各地で始まっているそうだ。

最近の調査では、1ヶ月で本を「1冊も読まなかった」人が半数を超えたんですって。20年前は4割未満。日本人の活字離れが急速に進んでいることがわかるデータですよね。うちの子供もそうですが、携帯があれば事足りてるのでしょうか?ネットで検索すれば何でも見れるのでしょう。私もブログをする前は携帯結構使っていましたから。

どこかのコマーシャルで「本は地球の裏側に旅することが出来る」というのがありましたが、読書には心を耕す力がある。ある著者が、読書は「自己の形成」であり、思考力・判断力・価値観を養うと語っていた。書物で出あった名文や名場面はすべて血肉として自身を荘厳していくと言われています。

どんな書物を読むのかは自由ですが、低俗な雑誌などでは違う部分の「自己の形成」になるのでご注意を。

「読書をしなければ、創造力もなくなり、動物性になってしまう恐れがある。良き本を読むことは、良き人生を創り、良き人生を生きていくことである。これは、世界共通の法則であろう」と識者は語っています。

確かに、今はインターネットで情報は簡単に入手できるが、読書で得られる精神の糧とはかなりの差があるのでしょうね。とは言っても、引き続きネットで私のブログは見て欲しいものだ。

読書とは少し違うが、古来、時代変革の陰には書物・書簡などの優れた文字の力があったという。アメリカ独立革命の精神的支柱となったのは、トマス・ペインの著した1冊のパンフレットであったのである。フィリピン独立の英雄ホセ・リサールは、数多くの手紙を認め、独立運動に立つ民衆を鼓舞したという。

楽しいことを求めるのは結構でしょうが、自己啓発になるものにも少しは目を向けてみることもいいのではないでしょうか?

話は変わりますね。昨日のブログに3ヶ月過ぎたことをお伝えしましたところ、“おめでとう、次は1年を目指しましょう”と激励をいただきました。ブログのテンプレートも変えてみて気持ちも新たに取り組んでいきます。3ヶ月、長かったような短かったような・・
7月末から始めたというのは、私の仕事がどちらかというと夏は多少落ち着いている時期でもあったからで、これからの寒い時期は記事が書けるか心配ではあるのです。でも、1年という指標を頂きましたので努力を惜しまず頑張りたい。

一つのことをやり続ける。次元は違いますが、「研究は、やり始めたらやり遂げることが大事」とノーベル化学賞の受賞が決まった下村博士は、答えを得るまで徹して研究を続けられたそうである。やはり、それほどまでの情熱が事を成就させるのかと感銘を受けた。

また、現役最年長の有吉道夫九段は70歳を過ぎてなお、若手棋士と指し続けた。故・原田泰夫九段は引退後も毎日、棋譜を並べて研究したという。飽くなき向上心で、将棋の道を歩み続ける二人の真摯な姿勢に胸を打たれたと、谷川九段は語っておられる。

真理を究める。一剣を磨く。そこに共通する挑戦の心。どんな小さな取り組みであれ、その意欲を保ち続けるのは至難の業である。諦めない人のみが勝利を勝ち取るのだろう。

たかがブログじゃないか、いや、されどブログなんだと薄れる決意を奮い立たせ、気の向かない自身を叱咤し、暖かなコメントに応えたいと、今日も挑戦を開始する。その積み重ねが1年へと繋がると言い聞かせ“ゴール”へと「精進」は続く。

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2008年10月28日

このブログも3ヶ月だ

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季節も移ろい行き、暑き7月末より始めたブログも3ヶ月が過ぎました。思えば記事も書けるのだろうか?見てくれる人はいるのだろうか?と思いつつも私の考え方の基になったものや感じたことを書いてきました。記事の内容に対し激励のコメントもいただくようになりました。まだ、勉強不足ゆえ思うように伝えられことも多々あります。記事の内容に対しても賛否両論かと思います。ただ、我見ではなく必ず新聞、書物等から読んだことや感じたことをお伝えしているつもりです。今後、より精進していく所存です。

ブログを始めてからいろいろ勉強になりましたね。第一に以前より新聞、雑誌、本を読むようになったこと。さらにどう記事をまとめようか?いままでそのような神経は使わなかったわけですから、考える力が養えてきているのかもしれません。

ただし、いいことばかりではありませんね。今まではどちらかというと職場にじっとしているのが苦手で仕事の合間に暇があれば、どこかに出かけることが多かったのですがその時間がなくなってきたのがデメリットといえば言えるかもしれない。

ゲーテがファウストのなかで、「気持ちがのっていなくては、いくら話し上手でも何にもならんさ。心がこもっていなくちゃあね、胸にグッとくるものがなくてはだめだ」というように人と会い、顔をみながら、声を聞く。顔色はどうだろうか、声に力はあるだろうかと相手のことが会うことによりわかる。

今日の私の記事からは“顔色”も“声の力”伝わらない。文字も活字で個性も現れない。あとは何か?やはり内容なのだろう。このようなジャンルは嫌いという方もおられる。忙しい日々に追われているのに文章だけ?読んでる暇なんかないよってね。でも、この記事のなかに隠れワードがあり、発見者には「金10万」差し上げますっていうのが本当だとしたらこの記事は10万の価値が出てくるんでしょうね。

先ほども昼食時に“印刷物の価値”について話題になりました。なんでそんな話になったかというと、葬儀の際に祭壇を飾りますね。その中央に宗派の曼荼羅が安置されるのですが、その曼荼羅一つ、一つ手書きなのか、印刷されているのだろうか?となったんです。印刷物は単なる紙じゃないですか。でも、内容によって価値は変わってくる。おもちゃの1万円札は使えないけど、造幣局で作られる1万円札は価値がある。千円は千円の価値である。韓国には徴兵制度がありますね。多分紙に文章で書かれたものが本人に届くのでしょう。紙切れ一枚でその人の数年は決定付けられるわけです。ところが、韓国語がわからない私にとってはただの紙切れにしかならない。でも、分かる人には重大な意味をもつ“印刷物”になる。

したがって、関係ないや、分からないから単なる紙じゃないかといっても分かろうが、分かるまいが“重大なもの”であることには変わりないのだが、どうも我々は意味の簡単に分かる方へといってしまうのかもしれない。

会う時間がない分、文章の力を磨いて次の目標へ向かっていきたい。
誤解をされてしまうのは致し方ないことだと思うが、どうも万人向けとはいかないのだろう。民主の事を書けば“民主批判”と言われるでしょう。好きも嫌いもないんです。ただ、事実をお伝えしてるんです。そして、それを知った皆が考えて“政治参加”すればいいと感じているんです。決して自民がいいとは言っていませんから。

ところで、選挙はいつになるんでしょうかね?

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posted by Koumei at 15:39| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

己を知ろうではないか

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いまや、宗教が形骸化しており、本来、生きている人の生老病死の現場で役割を果たすことこそ僧侶の役割だったはずだが、今、一般の人から見たら、坊さんはただお葬式をする人だと先日のブログに書きました。

ある方よりこのようにコメントいただきました。「あたしはまったく宗教に興味がないのでわかりませんが・・・・何か心の支え・・それこそ「信じるものは救われる」のような何かにすがりたい・・そんな気持ちが宗教に繋がるのでは?!と思います・・。
人とは弱く・・しかし強く生きるために宗教が存在するのかな・・そんなふうに思います・・」と。

宗教について私なりに考えてみたい。

宗教は“弱い人間”がするものだ。という人がいますが果たしてそうなのだろうか?それは、迷える衆生が神や仏にすがること自体が“宗教”と思っているからなのではないだろうか。

確かにそのように思わせたところもあるかと思う。さかのぼって鎌倉時代は飢饉、疫病、大洪水等の被害が相次ぎ多くの民衆の遺体が道端に溢れてしまった事実がある。その時に流行ったのは南無阿弥陀仏でしたね。「この世は辛く、苦しい世界。死んだら西方億万浄土にある素晴らしい世界にいける」と教えられ自殺者が非常に増えた。

生きていてもどうしようもない、阿弥陀仏にすがって救っていただこうとなります。まさにこれでは現実を変えようとしない“厭世主義”に陥ってしまう。どうもこの当たりで宗教はすがるものという形が作られたのかもしれない。

どこかの宗派に属し、檀家になる。これはすでに形骸化して意味がない。宗教の始まりは“祈り”からと聞いたことがある。農業に従事していた人は豊作を願い祈ったどこに?“山の神”(うちのカミさんじゃないですから)に。漁師は大漁を“海の神”に祈った。

そのように生活に密着したことを“すがる”のではなく祈ること自体が宗教だとしたら、どなたでも経験はあるのではないだろうか?
自分や家族の健康や悩み事に対して心で祈ってはいないだろうか。

より良くなるために“祈る”行為そのものが宗教なんだと言われたら皆さん“宗教家”じゃないですか。

あと一つ、家には仏壇もないし、祈る対象の仏像や本尊がないからやっぱり無宗教だと思われますか?

そもそも、「本尊」とは“根本として尊敬する”という意味なんです。あなたの生活で、人生において最も“根本として尊敬する”ものがあなたの「本尊」なんです。

お金がすべてというあなたは、お金が「本尊」になる。

肩書き、権威がすべてというあなたは、権力が「本尊」

ご主人がすべてというあなたは、ご主人が「本尊」

自分以外信じられないというあなたは、自分が「本尊」

どうでしょう、まだまだあるかとは思いますが、誰しも「本尊」はありますよね。幾たびかその「本尊」もさまざまな経験を経て変わるだけである。ただ、それは普遍的な「本尊」ではないことはご理解いただけますよね。だって、こちらが裏切らなくても裏切られる可能性があるじゃないですか。

お金はなくなれば、不幸を感じる。もし、財産があっても盗まれないだろうかと常に不安を感じる(誰ですか?感じてみたいという人は)

権威、権力はその立場から退いたり、落とされたらただの人ですね。

ご主人は離婚したり、他界したらどうでしょう。

自分は?ここは難しいところです。ある部分自分が一番大事なんですが、間違えてしまうとドイツのヒトラーみたいになるし、歴史上、偉業をなした人にもなる。不安定で、不確実な自分を「本尊」にするのは間違いなのだろう。もっと確実なものに“縁”して自分を向上させるという意味では自分が大事なんですね。その力を“自身”が持っているのだから。

お釈迦さんの「法華経」の中に“自我偈”というお経があります。これはよく葬儀で坊さんが唱えるのですが、この経は“自”で始まり“身”で終わるんです。何を意味するのか?この経は「仏」を賛嘆する言葉が綴られている。「仏」とは誰のことって思いません?あなた自身ですよとお釈迦さんは言われているんですね。信じられます?

長渕剛のガンジスで「神はどこにいるのかと訪ねたら、老婆は自分の胸を指した」と。神と仏、言い方はともかく尊極なるものは自分の外ではなく、内にあるんだと・・

チャップリンのライムライトの台詞を繰り返しますね。

「宇宙を運行させ、地球を回し、木々を育てている力と同じ力が、きみの中にもあるんだ!」

どうでしょう?宗教を身近に感じませんか。他の何よりも一番長い付き合いの「自分自身」をどう変えるのか?裏切られることのない“縁”探しを今からでも語り、探していこうではありませんか。

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posted by Koumei at 13:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月25日

宗教の役割

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今、読売新聞で日本の知力で、「宗教を考える」がシリーズで掲載されています。今日の記事がお寺についてだったので記事に書いてみたいと思いました。

「生きている人の生老病死の現場で役割を果たすことこそ僧侶の本来の役割だったはずだが、今、一般の人から見たら、坊さんはただお葬式をする人だ」とありました。

皆さんはどう思われますか?

葬儀=僧侶の読経とお布施 一つの職業になっているような気がしませんか?葬儀に僧侶が来てお経を唱え、戒名をもらうようになったのはいつ頃からなんだろうか?

江戸時代、お寺はコミュニティーの中核だった。日本宗教史が専門の圭室氏によると、今あるお寺の数は7万5千ほどだが、その7割以上は1640年代以降、一斉に建立された。

何故か。島原の乱(1637〜38年)の後、戸籍を作るのにキリシタンでないことを証明する寺の証文が必要になり、今でいえは区役所の役割をしながら各地に配置されたのである。

キリシタン狩りを目的としつつ、あなたは仏教徒ですねとついては葬儀に際してはお経を唱えてあげよう、戒名を授けてあげようと布施をもらうようになったのもこの頃だと言われている。お寺が国の行政機関になり檀家制度も生まれた。

余談ですが、戒名ってなんでしょう?最近の葬儀では僧侶を呼ばずに無宗派の音楽葬で執り行う方もおられるようですが、もちろん戒名もない。私も賛成です。「戒名」というのは本来、出家してその宗派の戒律を守りますということでもらうものだったんです。出家僧が修行をしている「生きてる時」であり、「死後」にもらうものではないんです。お釈迦さんの時代も、聖徳太子の時代もなかったんです。この江戸時代の「檀家制度」から生まれたものなんですから。

寺が行政機関の役割をしながら後に、寺子屋や集会所として使われ、コミュニティーセンター機能を担うようにもなったとのこと。しかしこのような関係こそが宗教心の形骸化をもたらしたと読売新聞に書いてある。

本来、宗教とは“迷える衆生”を教え導き、そして「その宗派」もしくは「その指導者」に救われた衆生が感謝の気持ちを“布施”というかたちで表わすものではないのだろうか?なにも葬儀にお経を読んでもらって渡すものではないというのは変ですか?

明治憲法で僧侶に対する法律が変わりましたね。肉や魚食べてもOK、妻帯もOKと。東南アジアの仏教僧侶からするととてもおかしなことと受け止められているようです。いいか悪いかは分かりません。しかし、妻帯して子孫が出来れば守ろうとするじゃないですか。お金も必要以上かかる。したがって、人を教化するより“葬式仏教”に走ったほうが“すべてに楽”になる。

今、日本に宗教法人ってどれ位あると思います?記憶が正しければ小さなところも含めて18万団体以上です。凄いでしょ。いまや生活に密着してない宗教なんですが、組織としてはこんなにあるんです。

履歴書に血液型を書く欄があるとのことですが、あなたの宗教は何ですかと書く欄はありませんね。外国ではあるかどうかは分かりませんが面接の際に必ず“宗教”はと聞かれるそうです。何故か?“宗教”や“哲学”をもってない人はあまり信用されないそうです。

日本人の宗教心はどうでしょう。正月に神社・仏閣に行き祈念する。結婚式はキリスト式。家に入れば神棚と仏壇が同居。苦しい時の神頼みと、神も仏も一緒くた。

どうだろうか、私たちも少しは仏教のことに関心をもってもいいのかもしれない。お釈迦様の「法華経」は単なるお経ではなく“人間とは素晴らしい”ということを説いているのだそうな。

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2008年10月24日

指先を十数秒入れるだけ

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「血管年齢」って知ってましたか?最近、よく言われるそうですが、年とともに皮膚にしわが出来てきて年をとったなって“皮膚年齢”は実感してますが。

血管の加齢の度合いを計測し、数値などで表す検査方法はいくつかあるのですが、その一つに「加速度脈波検査」というのがあります。

人間は血管とともに老いると言われているそうだ。具体的には、血管の弾力性が失われて硬くなることをいいます。私は血管という見えないものより、先ほどの皮膚の老いのほうが気になってしまうのですが。少し前まではこんなに年寄りっぽくなかったのにと感じるこの頃なんです。まぁ、これも自然の流れなんでしょうから・・・

鈴鹿医療科学大学の高田教授が、「相対血管年齢」という言葉を思いつき、「血管年齢」という言葉は、ある学会の場において、高田教授が最初に使われたそうだ。

心臓は、ドックン、ドックンと血液を拍出するごとに、拡張と収縮の運動を繰り返す。1回の拍動で動脈の血管にかかる圧力を波型に表わす検査で、20代、30代、40代、50代、60代とそれぞれ異なった山をもった波(加速度脈波)を描くことが分かってきています。

この「加速度脈波」の波形を幅広い年齢層を対象に疫学調査をされる。波形はそのときの生理現象や体調を反映してばらつきが生じやすいので、偏差値方式を採用している。さらに、波形指数という数字で表わし、その人の加速度脈波が、どれくらいの年齢層の波形に相応するか、判定することに成功されました。

波形を数値化するとき、どのデータを採用するかが最も重要だったそうである。当時はまだ、取りたいデータだけを正確に計測する機会がなく、高田教授の研究内容に興味を示した企業の協力を得て製作されたのが現在の加速度脈波計ということです。

器具は、パソコンのマウス程度の大きさの計測器で、パソコンにつながっている。パソコンには、あらかじめ独自に開発された解析ソフトがインストールされており、年齢と性別を入力した後、計測器の中に10数秒右手の人差し指を入れるだけで、赤外光線が指先の動脈血管に伝わる振動を計測し解析。最も相応する血管年齢が表示されるのだといいます。

血管年齢とは違うのですが、40代のころ背中が異常に痛く医者に行ったのですが、結果骨と骨の間が年の割りに空いていて「骨年齢」が60代だといわれてガックリして帰ってきたことを思い出しました。その後、若返ったかどうかはわかりません。同じように血管年齢も年の割りに若いとか、老いてるとか分かるのでしょうね。

さらに、この器具では、自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスも計ることができるんですって。今後、ストレスのかかり具合を示す器具としても期待をされているそうです。計測も解析も非常に簡単で、かつ短時間で結果が出るので、まだ病気かどうか分からない人が最初の異常を発見するためには、とても適した器具ではないだろうかといわれています。

今後、一般家庭に普及すれば簡易型血圧計のように自宅や職場でも気軽に計測可能になる日もそう遠くはないのでしょうね。

いつの日か、皆が持ち歩き、夜の居酒屋ではサラリーマンたちが「今日のストレス」を計りながら談笑する光景があちらこちらでみられるかもしれませんね。(笑

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2008年10月22日

二宮尊徳の実像

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二宮尊徳はどんな人だったかご存知ですか?私の通った小学校の校庭の隅に銅像が置いてありましたが、柴を背中にかつぎ読書にふける小柄な人で“勤勉”を象徴するためにあったのだろうというイメージぐらいしか知りませんでした。

他に額に汗を流して田畑を耕している努力の人。
精錬潔白で無欲な人。
どんな辛いことも我慢できる忍耐の人。とのイメージが今も残っているそうなのだが、これらは事実とはかなり異なっているらしい。

実像は身長は6尺、今で言えば180センチ以上で当時としては巨漢であった。

少年期の1時期を除き、ほとんど耕作はしていない。田畑は所有してたのだが、みな小作に出し、自ら鋤鍬を持つことはなかった。

慈善家ではなかった。今でいうところの信用組合を日本で始めて作るなど、私的基金による金融業を事業として行い、その資金で各地の荒地の復興をしている。

どちらかというと頑固な性格だったそうだ。時にそれが災いして、上司とそりが合わずに、現代でいうところの出社拒否症に陥ることもあり、晩年には胃潰瘍を患ったりもしており、ストレスに強かったとは必ずしも言えない。

どうだろうか、かなりイメージが違いますね。最初のイメージになった理由として、彼は有力な武家の出身ではない。単なる一介の百姓から武士に取り立てられた。それがひとかどの人物になったということで、貧乏人の子どもの努力目標とされたのだろうと言われている。

彼は、江戸時代の幕藩体制という与えられた制約条件の中で、自分の責任でできることを最大限に行った人であった。封建制度のもとでは彼自身本当の権限は持っておらず、藩主や幕府に命令されて動く一つの駒に過ぎなかったのである。

その点では巨大な会社組織に生きる現代のビジネスマンと同じであり、その枠組みの中で彼自身がコントロール可能なことを成し遂げたことが評価されたのである。決して時の政治権力に文句を言ったり、革命を説いたりはしなかった人物であった。


本当の二宮尊徳をまとめると以下のようになるらしい。

・ 二宮尊徳は世界で始めてQCを実践した人である。
・ 二宮尊徳は日本で始めての銀行経営者である。
・ 二宮尊徳は再建の神様である。
・ 二宮尊徳は優秀なプロジェクトリーダーである。
・ 二宮尊徳は有能な経営コンサルタントである。
・ 二宮尊徳は多くの著作を残した作家である。
・ 二宮尊徳は偉大なる思想家である。

私も彼については“勤勉な子ども”のイメージしかなく勉強になりました。皆さんはいかがでしたか?

再建の神様といわれる所以は、一言で言えば、関東周辺十一ヶ国に及ぶ、荒廃した農村の復興である。今日で言えば、傾いた会社を次々に立て直していったといったところであろうか。

最後に二宮尊徳の人となりの一端を紹介します。

彼は、要領よく仕事をこなす者より“人のために”との心で、皆が嫌がる仕事にも、懸命に励む者を高く評価したようだ。荒廃した村の再建を任されていた時のことである。

ある人物より“信じられないほど多くの仕事をする”男を紹介された。彼を表彰してはどうかと促された尊徳は、「私の目の前で働いてみよ」と命じたのである。

男は偽りを認め、「監視役員の見ている時だけ懸命に働いた」と白状したのである。

何故、尊徳はごまかしを見破ることができたのか?

それは、彼が村人たちと苦労を共にしていたのと、誰よりも早く田畑に出て働き、最後まで残った。一人の人間ができる仕事の限界を知っていたからウソを見抜くことが出来たというのだ。

これを聞いて私は、働く側の人間として、また、一人の人間として「誰も見てない」から手を抜くのではなく、見ていようが、なかろうが自分に偽りなく、成すことをやろうと、気持ちを再度確認させてもらいました。

また、今のリーダーには尊徳のように“現場第一主義”に徹した人に国を任せたい。先の仙台、宮城沖で起きた地震の際に民主の小沢代表は地元にもかかわらず「現地視察」も「見舞い」にもこないで、政権奪取だ政権奪取だといっても誰もついてきませんよ。「国民生活が第一」っていってもあなたのウソはいつかばれるのだから・・・

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2008年10月21日

自分を見つめてみよう

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人間ってやはり複雑な生き物なんでしょうね。先日、デートDVについて記事を書きましてコメントをいただきました。

知らなかった方や経験してないのでなんとも言えないという方も。そうです、このようなことは経験しないほうがいいですよね。これも一種の心の病なのではないかと言われた方もおります。

福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」と学問のすすめで言っていますが、彼は宗教に熱心ではなかったのでここで言う天とは「神」ではなく「自然の法則」のことを言われている。

同じ人間として生まれながら「差別」されるのはどうしてなんだろうって思いませんか。デートDVは男女に起こる暴力や支配は一種の権力じゃないですか。本能的に自分より相手は弱いと見極めていき行動に移す。決して強いものには横暴にはならない。

こういう方を「修羅」というんですね。弱いものの前では自分を大きく見せる。自分より強いものが現れると媚びへつらうという心の傾向性。いません?身近に。人によって態度を変える人。そして「勝他の念」が強いんです。常に他人を意識し、それよりも勝とうと執念を燃やす。権力があれば、相手に対しさまざまな手をつかい貶め、支配しようとする。

ですからDVというのは男女間だけではないんですね。

肩書きではなく心の部分で権力者が上で、国民が下なんて考えているからいつまでたっても良くならないんでしょう。経営者が上で社員は下?教授が上で生徒は下?親が上で子どもは下なんて考え方を改め「人格」を尊重しましょうよ。

先ほど同じ人間としてと言いましたが、肉体があり、心があり、考えることも話すことも出来る点では「同じ」じゃないですか。でも、私はそれぞれが「心の傾向性」の違いをすでにもって生まれてくると思うのです。

まず、人間は生まれて死んだら終わりと考えたら理解できないが、夜寝て(死)朝、疲れをとり目が覚める(生)ように生と死を繰り返す。朝起きたときにはもちろん自分自身というように“自我”は続いていく。今、ここにいる人類は「過去」の自分の心の傾向性を引き継ぎながら生きている。これが「個性」なんでしょうが。果たしていい個性なのか?悪い個性なのか?

以前、心の通帳とか、自業自得のことは書かせていただきましたが、自分の思ったことの善悪や行為の善悪は自分自身に蓄積されて最終的にプラスの業とマイナスの業どちらが多かったかで来世の自分が決定するといわれたらどうでしょう?

お金に譬えるのはどうかと思いますが、借金したら返さなくてはなりませんね、すべて返済するには大変な労力(苦労)を必要とします。逆に通帳に残高があればゆとり(徳)がある。お金を「こころ」に置き換えてみてください。やはり今の自分は”因果の法則”であり、他人のせいではなく自業自得なんですね。

人生においてさまざまなことを経験し、何をやってもうまくいかない。これも「運命」なんだと諦め自暴自棄になることもあるでしょう。でも、これも自分の借金なんだと自覚し、苦労は半端じゃなくても返済(善の行為)することに専念すればいつかはゼロになるんですから。できれば今世でプラスにしたいですよね。そして人生捨てたもんじゃないって感じて逝きたいじゃないですか。

何かに躓いて転んだら、自分自身で起き上がることなんです。それを何かのせいにしても始まらないんです。発想の転換をして“自分の不注意だった。次は気をつけよう”と。プラス思考でいきましょう。

ある人が事業に失敗して、自殺を考えていたところ何故かわかりませんがベートーベンの“歓喜の歌”を聞きもう一度やり直してみるかと踏みとどまったと聞いたことがあります。何に“縁”するかによって人生は大きく変わるんですね。であるなら、悪い縁は避け、良い縁と一つでも多く出会いたいものだ。

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2008年10月19日

デートDVって何?

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DV(ドメスティック・バイオレンス)は夫や恋人などパートナーから受ける暴力ですでに皆さんご存知のことと思いますが、「デートDV」って知っていましたか?こちらは、未婚の交際相手から受ける暴力を指す言葉として、数年前から使われるようになったそうです。

2001年に「DV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)」が施行され、被害者を支援する環境は整備されつつあるが、この防止法は婚姻関係にあるカップルのみであり、事実婚や元夫婦も含まれるのだが、結婚以前の恋人関係や同性愛カップルなどは含まれないんです。

ところが実際には、婚姻関係の有無にかかわらずカップル間には暴力行為が起こっている。そこで、配偶者間のほかにもDVが存在することをアピールするために、デートDVという言葉が生まれたそうだ。

私はあまりテレビを見ないので知らなかったのですが、フジテレビ系で放映されていた「ラスト・フレンド」はデートDVを一つのテーマにしてたんですね。

DV防止のために活動を続ける団体によると、DVにはいくつかあって、「言葉での暴力」「身体的暴力」「精神的暴力」「性的な暴力」「経済的締めつけ」「子どもを使った暴力」があります。ここで、少し具体例を挙げてみます。

・ いつもバカにする。

・ 友達と遊びに行く予定だったが、「俺よりも友達をとるのか!」と怒鳴られて、中止にさせられた。

・ 異性の友達と会話しただけで怒鳴られ、殴打された。

・ 携帯電話のアドレス帳から異性の連絡先を消去された。

・ 「起きた?」から始まり、「いま何してる?」「何時に帰るの?」「これから何するの?」と一日中メールを送りつけられる。返信しないと「なんで返信しないんだ!」と怒鳴られる。

・ 「バカ!!!!!!!!!!!」と、メールでビックリマークを乱用する。

・ 携帯電話のGPS機能を使って、常に居場所を把握されている。

・ 「なぜ、そんなに怒るの?」と聞くと、「そんなこともわからないのか!自分で考えろ!バカ!」と怒鳴る。

ほんの一例で、まだまだあるのですが、相手の心をもてあそび、自尊心を破壊することで、加害者は相手を支配し、コントロールできるように仕向けるようだ。たとえ、身体的な暴力がなかったとしても、これらはれっきとしたDVである。

デートDVが「DV防止法」の対象から外れた理由として、結婚以前であれば、カップルの関係も「嫌なら逃げればいい、別れればいい」と推測されたからだというが、被害者はあまり逃げないでいて、これらの暴力の問題は深刻化しているようである。

ひどい暴力を受けながら、どうして被害者は逃げないのだろうか?

一因として、「恋愛幻想にすっぽりはまってしまう」からだという。嫉妬するのも、束縛するのも自分を愛してるからだと解釈してしまう“恋愛幻想”が冷静な判断を狂わせてしまうことと、DV加害者の多くが、暴力をふるったあとに豹変したようにやさしくなるため、幻想から抜け出せないといわれています。

また、被害者は「結婚すればやさしくなるはず」とか「子どもができればやさしくなるはず」と期待し、我慢をし続けてしまうらしい。

自分のパートナーに危険な兆候を感じたならば、早めに相手と距離をとることが賢明という。デートDVが「DV防止法」対象外である現在、被害者自らが対策を講じる以外に被害を止める方法がないのです。

もし、身近に被害を受けている方がいたら、内閣府男女共同参画課のホームページに相談機関の一覧が掲載されているので教えてあげて下さいね。


「内閣府男女共同参画課」 http://www.gender.go.jp/


最後に、DVの大半は男性から女性に対するものですが、強い女性から弱い男性に対するものも存在しますから。

あなたは大丈夫ですか?

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2008年10月18日

血液型で人を判断しますか?

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日常生活で何気なく話題に上がる「血液型」ですが、血液型によって性格に違いがあると、当たり前のように語られているが本当なのだろうか?

「B型自分の説明書」(文芸社)という本が、百万部突破のベストセラーになっているそうで、他にA型、O型、AB型の「説明書」もあるんですって。

日本人は血液型占いが大好きですから、朝、テレビを見ると血液型占いをやっていたり、雑誌にもよく血液型の特集記事が載っていたりしませんか。「B型自分の説明書」によると、「根暗」「口べた」「右と言われれば左と言う」とか書かれて、いいことがありもしない。でも、最後まで読んでいくと「これがB型の全てではありません」「人は十人十色」と書いてあり、愕然とする。

普段私たちも会話をする際に結構血液型は話題にしていません?

AB型の人は何を考えているかわからない、不思議なところがありミステリアスだなんていう。A型の人は几帳面と。B型は自己中心でマイペース。空気を読まないとあまりいいイメージはない。

せめて話しの潤滑油程度に使われるだけならいいのだが、学校でB型の子どもがいじめられると言う事実もあるので、注意が必要かもしれない。放送倫理・番組向上機構というのがあって、あまりにも血液型関連の番組が多いのでテレビ局に勧告が出されたこともある。

血液型診断で心理検査をやってみると、これが結構当たるらしい。でも、この心理テストや占いというのは、当たるように工夫されているんです。このバ−ナム効果により、誰にでも当てはまるような曖昧なことが書いてあるのに、「これはまさに私のことだ」と受け取ってしまうし、相手に対しても「決めつけ」になってしまう。

バーナム効果を説明すると、実際には万人に当てはまる一般的な性格記述について、まるで特定の個人だけに当てはまるかのように錯覚してしまう現象のこと。「よく当たる」といわれる血液型診断や手相占い、星占いはバーナム効果が十分に発揮されているだけだと思ったほうがいいそうですからね。信じていた人には悪いですが、医学的にも何の根拠もありませんので、話のネタぐらいにしときましょうね。

B型の人はジコチューでマイペースなんていうのはウソなんです。万人に当てはまることですから。O型とA型のカップルは結婚してからうまくいきやすいとか、人と人の相性についても何の根拠もないので他の血液型の方々ご安心を。

そもそも、日本に」ABO式血液型のことを始めて紹介したといわれるのが、原来復という学者で1916年に書いた論文が「A型のほうは従順で成績は首席であったが、B型のほうは粗暴で成績は最低であった」「この人はB型ではないかと思われた人はたいていB型であった。体が細く、優しそうな人はたいていB型であった」と。これが学術論文かと目を疑うほどひどい論文だったと、批評されている。

70年代に入ると、文筆家の能見正比呂が「血液型人間学」を出版。これがベストセラーになったことがきっかけでブームを迎えることになる。ここでもB型は悪い印象を植え付けられる。特徴として「わがまま」「家庭・家族への責任感が乏しい」といった点を挙げている。能見は2万人のデータを基に血液型人間学を立証したと主張しているが、この点も問題といわれる。このデータは、彼の本を読んだ読者から寄せられたアンケートを基に作られたという。金を出して血液型本を買うような読者を対象にアンケートを取っている時点で、統計に偏りが生まれてしまい、データとしての客観性や公平性はまったくなくなってしまうと酷評されている。

そのような学説を真に受け、企業の人事担当者が血液型でA型をなるべく多く採用したり、恋人や結婚相手を選ぶ際にも「血液型と相性」ということで考慮される。

いいですか皆さん、巷で流通している血液型診断は、残念ながら今のところ科学的根拠に基づいて発信されているんじゃないのですよ。

もって生まれた血液型によって生き方が規定されてしまうほど、人間は単純な生き物ではないですよね。人間の背骨に当たる思想や人生哲学をどう深めていくのかがよっぽど大事だということを根本に語り合いたいですね。

因みに私の血液型は・・・・・? そんなの重要じゃないですね。

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2008年10月16日

心の三原色って何?

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先日、歩くことによってセロトニンが出て精神的にいいと書きましたが、今日はセロトニンについて詳しく述べていきますね。

朝、セロトニン神経が活発に働けば、その日一日を旨く乗り切っていく元気が湧いてくるとのこと。

具体的には、大脳を目覚めさせ、スッキリと気持ちの良い覚醒状態をつくってくれる。そして、自律神経にも働きかけ、夜寝ている間の副交感神経から、起きてからの交感神経へとシフトチェンジしてくれる。また、筋肉も目覚めさせ、背筋がピンと伸び、まぶたもしっかり見開いた、やる気のある精悍な表情をつくってくれる。

医学部生理学の教授の話では、心が三つの重要な神経からつくられていると述べている。その神経を「赤青緑」という光の三原則になぞらえて、「心の三原色」と呼んでいます。

赤はドーパミン神経
青はノルアドレナリン神経
緑がセロトニン神経の三つです。

赤のドーパミン神経は、意欲を高める神経で、やる気といえばドーパミンと考えがちですが、ドーパミンが引き出すやる気だけでは、いい成績をとりたい、もっとお金を儲けたい、出世したいと、際限なく求めるものが拡大していき、最終的には、どこまでいっても満足できない状態になるのです。この「欲望の暴走」を制御するのが、緑のセロトニン神経なんです。

青のノルアドレナリン神経は、何か強いストレスが押し寄せたときに、それに身構えるために働く「脳内の危機管理センター」の役割をしている神経。ただし、ときどき、ちょっとしたストレスにも過剰に反応してしまうこともあって、それが恒常化すると、不安神経症やパニック障害などの心の病を引き起こしてしまうそうだ。こうしたノルアドレナリン神経の暴走をコントロールするのもセロトニン神経なんです。

光の三原色は混ざり合うと白になるように、人の心も、この三つの神経がバランスよく混ざり合った状態がいちばんいいと言われている。それを「平常心」と呼び、心をそうした状態にするのが、セロトニン神経なのだと。


どうしたらセロトニン神経を出し、「平常心」を維持できるのだろうか?


素晴らしい働きをする、セロトニン神経だが、大きなストレスや疲労によって消耗してしまうそうだ。つまり日々充電しないと、軽いうつ状態になりやすくなるという。だからこそ、セロトニン神経を活性化させることが大事で、方法は三つあるそうだ。

一つは、朝、太陽の光を浴びること。最近は有害な紫外線への心配もあり、肌をさらさないようにしてる人も多いようですが、30分ほどでいいらしい。浴びることにより、脳が活性化して、同時にセロトニン神経も活性化されるのです。

二つ目は、リズミカルな運動をすること。いつもより、30分早起きして、ウォーキングやジョギング、またサイクリングなどをする。ベランダでスクワットをするのもいいという。また、ものを噛む行為がセロトニン神経を活性化させる。そのためにも、ご飯はゆっくり噛んで食べることが大切であり、スルメやチューインガムを噛むのもオススメですって。

それ以外には呼吸のリズムも有効で、ヨガや太極拳などの呼吸法、またお経が得意な方はいますか?このお経やお題目を、朝、15分から30分程度あげることもセロトニン神経の活性化につながるので自分に合った方法で挑戦してください。

三つ目はグルーミング。これは、人との触れ合い(コミュニケーション)のことです。たとえ5分間、少し言葉を交わすだけでもいいそうです。家族で食卓を囲んで、お互い目をあわせるだけでも構いません。何かしら人と触れ合うことでセロトニン神経は活性化するのです。一人暮らしのお年寄りや引きこもりの青年も、毎日誰かと触れ合いを少しでももつようにすれば、いいのではないだろうか。

以上の三つのうちどれか一つでも実践してみることが、“初めの一歩”で3ヶ月も続けると活性化の度合いが上がるそうですから頑張ってみませんか。

診療を受け、薬を服用するのも悪くはないが、他力ではなく自身の中にあるセロトニンを自力で活性化して“やる気”を出していきましょう。

私も“活性化”に挑戦だ! 方法は? 秘密ですが・・・

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2008年10月15日

政治家の質と国民の質

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こんな程度の政治(家)は、こんな程度の有権者(国民)だからと言われないようしっかり投票していきたいものだ。

衆院の二世、三世、四世議員は146人いて全体の約30%を占める。いまや日本は世襲政治の時代になっている。一般論として、世襲はよくないと言われるが、単にこれが悪いとは言えないだろう。中には有能な方もおられるのだから、見極めが難しい。

これは政治家サイドの問題だけじゃない。選ぶ側の責任もある。国民の目がちゃんとしていれば、この二代目はバカだからだめだとか、二代目だけど非常にいいとなるわけだ。だから、本当は判断する選挙民の問題なんだ。と言った人がいるが、実際バカな二代目を見極められないから30%も世襲議員がいるんですね。

ということは、選挙民がしっかりしないといけない?

ただ、職業選択の自由があるわけで、この私でも立候補の自由は憲法上保障されているのですから。当選するしないはともかく立候補できるのである。3年前に○○チルドレンが大量に当選したのは記憶に新しいと思う。もちろん全てではないが、「料亭にいきたい」「グリーン車に乗りたい」等々、彼らの言動はいかなるものか。そのようなレベルの低い方が立候補として出るのもおかしいし、ワイドショー的な選挙で○○マジックに多くの国民が引っ掛かった我々も悪いのだろう。

ある学生が憲法の前文、第一条、第九条、第十五条、第二十四条について、最低限でもいい、その内容についての「国会議員の資格試験」というのを考えなければいけないと言っていたが、どうだろうか私は賛成である。皆さんはどう思うだろうか?

国会議員になろうという人間は一般教養、専門知識の最低限のことは知っていて欲しいと思いませんか。“その資格をもった人間”が立候補できるようにする。そうでなければ、たった1〜2ヶ月の選挙運動で“見極め”は難しいのだから。

少なくても、若い政治家がバッジをつけることで満足する、派閥の会合で料亭に行って食事をしたいなんて低次元のことは起きないのだろうから。

一流大学をでなければいけないというんじゃないんです、出ても官僚みたいになる人が多いんですから。要は「現場主義」で働く「人間力」のある人が一人でも多く当選しなければいけないんです。

先ほど衆院は146名の議員がいると言いましたが、そのなかで「どれくらいまともな政治家がいるんだろう」と大学教授と政治ジャーナリストが語り合ったそうです。

二世、三世はほとんどダメだと。苦労がわかってない、汗をかいていない。これは安倍、福田両氏の「ボンボン連続投げ出し事件」でも証明されている。ひ弱な彼らに北京で金メダルを獲得した女子ソフトボールチームの“敗残耐勝”( 趣旨は敗れた際、その境遇の中で耐えてこそ、また勝ちがみえてくる)の精神を見習って欲しいものだ。

よく知名度だけで(テレビ出演の多さだけで)比例代表で当選し、国会議員になっている人もいますね。彼らはテレビに出ることが選挙運動だと思っているのだから情けない。先の○○チルドレンも当選して国会の「赤じゅうたん」を踏んで舞い上がっているぐらいでは問題外。

国会で鋭い質問をして、政治、行政の問題点を大きくクローズアップさせた議員は少ない。数えても両手で足りる。霞ヶ関の既得権益に鋭く切り込んだ政治家も1ケタだそうだ。

さまざまな条件をクリアする「まともな政治家」は一体何人ぐらいだったんだろう?

40人もいないんですって。信じられますか?まともじゃない政治家が100人以上いるんですよ。

こんな程度の政治家を国会に送り出したのは、投票にも行かない人も含めた我々国民なんです。マスコミに踊らされることなく、政治に関心を持とうではないか。

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2008年10月14日

歩けばいいのは分かってるが・・

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日本人は一日平均どれくらい歩いているのだろうか?

政府は現在、国民の健康増進をめざし、「健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)」を推進しているそうだ。このなかで掲げられている、2010年への実践目標のひとつが、日常生活での歩数の増加ですって。

具体的には男性の平均歩数を9200歩。女性は8300歩へと、それぞれ約10000歩の増加を目標に定めているとのこと。

ところが、最近の調査結果を見ると、男性の平均歩数は7532歩、女性の平均が6446歩と以前に比べかなり後退した結果となった。

ちなみに私の今現在は679歩、昨日が4584歩、一昨日が5182歩とかなり少ない。自宅から職場までが近いので歩かない時はどうだろう2000歩程度の時もある。

多分一度しか書いてないのだが、私は糖尿を患っているのでもっと歩かなくてはいけないのだが、それがなかなか出来ないでいる。糖尿の場合の“ウォーキング”はいつ歩いてもOKというわけじゃなく、血糖値を効率的に下げる為に食後30分後ぐらいから歩くのがいいと医師からは言われている。

以前よりは規則正しく生活をしているのだが、仕事柄昼食をとるのが結構ばらばら、夜はどちらかというと遅めの食事と晩酌。これをなんとかしないといけないのだが・・

最近、人からまた、痩せたねっていわれるのですが、別にダイエットしてる訳じゃなく痩せていくんです。このブログでも私の素顔を公開してますから探してみてください。10年ほど前から比べると10キロは減った姿ですよ。(酒を飲まずに薬を飲まないと・・)

本題に戻りますね。

一日1万歩の運動で消費するカロリーを一週間に換算すると約200キロカロリーになる。アメリカの研究によると、週に2000キロカロリー程度の運動をしているグループは、500キロカロリー未満のグループとくらべて死亡率が半分だったという。こうした研究成果を知ると、1万歩にチャレンジしなくてはと思う。

一日、24時間の中でこの歩く時間を捻出するのはどうだろう。このブログを始めて今日で80日目になる。日に日にパソコンと向かい合う時間が増えているように思える。考えているのは合間に気分転換のつもりで歩くしかないということだ。万歩計はいつもポケットに入れているのだから、昨日よりは500歩でもプラスできるように努力してみたい。

本格的なウォーキングができるといいのですが、散歩にも効果があるそうだ。歩くことにより脳内のセロトニンが活発に分泌され、リラックスできると。イライラしたときや仕事や勉強にはたまた記事の内容に悩んだときは、少し歩くとアイデアが浮かぶことがあるともいわれている。これは、セロトニンのおかげだそうだ。

もう少し説明すると、歩くことにより血液循環が改善され、これによって脳にしっかりと酸素が送り込まれる。すると脳内ホルモンの分泌が活発になり、精神をリラックスさせる働きをもったホルモンが出てくる。これが、セロトニンというわけです。

昔、ギリシャの哲人は、弟子と歩きながらさまざまな学問を語らったといいます。歩くことで脳が活性化されることを体験的に知っていたのかもしれない。

この記事を書いてる最中に雨が降ってきました。よりによって、今日じゃなくてもいいのに・・

私の選択は「歩く」か「歩かない」のいづれに?

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2008年10月13日

健康で長生きがいいよね

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長寿国・日本ですが、病気で入院状態で長生きするより“健康で長生きしたい”と皆さん思いますよね。

「健康」って病気をしてないこと?

世界保健機関の定義では「完全な肉体的、精神的及び社会福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」とされているが、この「健康の条件」に当てはまる人は、現代の日本でどれくらいいるのだろうか?

かつて、西洋医学では長い間、「身体の病気」と「心の病気」は別々のものとして扱われてきたが、近年になって心と身体が密接にかかわっていることが分かってきたそうだ。

難しいことは省きますが、驚くと心臓の動きが速くなり、血圧が高くなるとか、また、怖いと思った時に顔が青くなるのは血管が収縮して血液の流れが悪くなるというように「心(精神))と「肉体」が密接に関連していることを示す分かりやすい例ではないだろうか。

ある識者は「不可思議な心を、唯物論、唯心論でみようとする時代は過ぎ去った。結論していえば、心(生命)と身体(肉体)は別々とみない。これこそ、現代の哲学、生物学、医学等々、すべてが帰趨していく事実であると訴えるものである。特に、生命の問題と密接な関係をもつ、医学の分野において、そうした傾向が顕著ではないかと思う。最近、「精神身体医学」が叫ばれてきているが、これも一つの好例と考えられる。これは、病気の原因を単に肉体だけに限るのではなく、心にも原因を求めようとする推移であり、近年の「精神身体医学」では、病の原因を心に求めています。」と言われていました。

さまざまな事が原因で病気になるのでしょうが、一つには“ストレス”が大きな原因でもあるのではないだろうか?現代社会のストレスの原因は、多くが対人関係による精神的、社会的なものといわれています。

ある女性の話です。子どもさんが独立し、ご主人が単身赴任のため「一人暮らし」になって、更年期症状が悪化し、肩こり・頭痛・不安・イライラ・不眠などさまざまな症状に苦しみ、ホルモン治療、漢方薬、抗不安薬、睡眠導入剤などで症状を抑えていた。

ところが、数ヵ月後、室内犬をペットとして飼うようになってから、更年期症状はすっかり良くなり、薬を必要としなくなったという。それは、ペットによって心が癒され、身体の症状が改善されたのだ。

このように「健康」を維持していくためには、心の要因を考えることが大事になる。すなわち「心のストレス」対処を如何にするかでしょうか。

生きてる以上、程度の差こそあれストレスのない人はいないですよね。不安、怒り、恐怖、過度の緊張等は自身から起こるもので、逆に何もしてないのに周囲から起こる場合もあります。決して避けられない。

先ほどの女性のようにペットを飼うとか音楽や芳香などによる「癒し」にも効果があるので試されてはいかがでしょうか。

ちなみに今、私は「癒し」の音楽を聴きながらブログの記事を書いてますが・・・

さらに「楽観主義」あるいは「プラス思考」の生き方が大切だともいわれています。アスリート達にみられるようにストレスをバネにして「心を鍛え」新たな成績にチャレンジして向上していくというように。

大事なのはストレスがあるとか病人であることではなく、その問題を乗り越えていこうという「心の強さ」を自身の中に打ち立てていくことと「乗り越えられる」との自信をもつことではないだろうか。

アメリカの詩人の言葉です。

今、起きてる出来事は・・最後は絶対良くなるための出来事なんだ!

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2008年10月12日

ガンジーのエピソード

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ある会議の前、ガンジーが何かそわそわしていた。あたりを見回したり、机の中をのぞいたりしていた。

「何かお探しですか?」

「そう、鉛筆を探しているんじゃ」

「ああ、それなら」。その人は自分の鉛筆を差し出した。「どうぞ使ってください」

しかし、ガンジーは「それは私が探している鉛筆ではない」と言う。

しかたなく、その人は鉛筆を一緒に探してあげ、やっと見つかった。
それは、わずか3センチほどの「ちびた鉛筆」であった。「あった、あった」とガンジーは喜び、何故、探したのか、その理由を説明するのである。

ガンジーが独立運動への援助を呼びかけ、各地を回っていた頃に、一人の少年が、この鉛筆を「どうぞ使ってください」と寄付をしてくれたとのこと。その子にとっては大事な大事な鉛筆を寄付してくれた。
「その心を私は忘れないのだ」と。


これはガンジー研究家で有名な森本氏(名城大学名誉教授)が紹介されているエピソードである。

どれほどの寄付が集まったかはわからない。しかし、ガンジーは3センチほどの「ちびた鉛筆」を単なる「もの」とは捉えず、少年の熱い「心」と受け止め、どんな高級な万年筆よりも大切な宝として持っていたのだろう。だから「書くための鉛筆」ではなく、「宝の鉛筆」を懸命に探したのだ。

ガンジーは「心こそが大切」との信念のもと、独立運動や非暴力運動を展開されたのだと思う。

彼は独立運動の最中に起こるさまざまな局面で、運動する国民の心が憎悪や臆病に汚されていないかを常に問題としていたそうだ。

「目には目をが誤った思想なのだ」

「命を失おうとも、魂は失うな」と教えた。平和を創るにも「平和な心」と「平和的手段」でしか為し得ないのだと訴え続けるのだった。

薔薇の花がほしければ、薔薇の種を植えよ。戦争で憎しみの種をまいて、どうして平和の樹が育とうか!

ガンジーは観念論者だったのだろうか?そのように彼を冷笑した人もいた。非暴力など非現実的だと・・

21世紀は「平和の世紀」にしなければいけないと言われている昨今ですが、一体誰がやるんだろう?

ある識者はこのように語っている。

文明間の衝突でもなければ、「テロ」対「対テロ戦争」でもないはずである。

挑戦すべき焦点は「暴力」対「非暴力」の競争にある。

「力ずくでという傲慢」対「対話する勇気」の競争である。

「人間不信」対「人間信頼」の競争である。そして、これこそが真の「野蛮」対「文明」の戦いであろう。と述べています。


どうでしょう?私たち自身が取り組めることではないでしょうか?テロはともかく非暴力も対話する勇気も、人間を信頼することも個人レベルで挑戦できるのではないだろうか?

こころの変革は簡単ではないだろう。自身の中にある傲慢、不信、憎む心等々と、他ならぬ自身が戦わなくてはならないのだから・・・

多くの人がそのことに気付き挑戦する中で、家庭、地域、社会、国の平和につながる事を信じて挑戦しようではありませんか?

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posted by Koumei at 12:18| Comment(2) | TrackBack(1) | ちょっといい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月10日

やはり気になる”総選挙”

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読売新聞社が今月の4~5日に実施した全国世論調査(面接方式)によると、「民主党に一度、政権をまかせてもよい」と思う人は58%で、そうは思わない人の38%を上回ったそうだ。

政権担当能力はどうかと聞くと、自民党については「ある」と答えた人が67%であった。民主党は「ある」が46%で「ない」が47%とほぼ半々の結果であった。

麻生首相と小沢一郎代表の印象を個別に聞くと、麻生さん「良い印象」が57%で「悪い印象」の36%を上回った。小沢さんは逆に「良い印象」が35%で「悪い印象」は59%との結果である。

「民主党に一度、政権をまかせてもよい」と言う人はどうだろう。こちらは当然民主ファンである。ファンから見た小沢さんの印象は「良い」が49%で「悪い」が45%と半々で政権担当能力が有無とほぼ同じ結果であった。

政権は民主党にやらせてもいいが、政権担当能力は不安であり、小沢さんに首相をやってもらうのもどうなんだろうということかな。

日本の政治はいまや“自民党単独政権”ではない。実は細川内閣からほぼ15年は連立の与党であるし、公明党とは10年位になるんでしょうか。確かに自民党もダメなのは分かる。ただ“政権をどちらに”の一つを除いて自民(与党)のほうがいいかなと思う人が多いのも事実でしたね。

政権担当能力がないだろうというのは我々が思うのではなく、何度も言いますが、小沢さん自身が昨年の11月に言ってる。のみならず、前原前代表も20人以上の民主党幹部も言っている。能力が“私はありません”と公言してるのにやらせてもいいのだろうか?

自民の総裁選もなんだか出来レースの感が否めませんが、小沢さんは対抗馬がいなかった。というよりは敢えて出なかったと言えばいいのだろうか。渡部恒三は複数で代表選をやれば良かったのでは?との問いかけに対し、「その通りだ。岡田克也副代表は“小沢氏に勝ったら困る”という理由で出なかった」(読売新聞)と言う。

小沢独裁党とでもいうのか?

小沢さんはいまだに毎日2時間の昼寝を欠かさないらしいが、首相になったらどうするのだろう?それは個人の勝手でしょと言われればそうなのだが、一国のリーダーは我々みたいな“一日”ではないだろう。

民主党に一度はやらせてもいいのでは?といいますが・・・

民主党の多くの幹部はもうすでに“与党”にいて政権を担っていませんでしたか?

1993年の細川内閣の時には小沢さんが中心者じゃなかたでしょうか?

1999年には自自連立内閣を作りませんでしたか? 小沢さん。
どちらも長続きしない、何も出来ずに終わりませんでしたか?

鳩山幹事長と菅代表代行も1994年の自社さ政権の中心者でありましたよね?どうでしたあの時の政権は?

確か平成の大不況を一層深刻にしませんでしたか?



もう自民だ民主だではなく、当選した議員の中から本当に改革をやろうという方が党派にとらわれずに内閣を立ち上げて、舵取りをしてもらいたいものだ。

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posted by Koumei at 14:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月09日

ガンジーに学ぼう

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ガンジー.bmpガンジーが暗殺されてからすでに60年経つのですね。にもかかわらずニューデリーの国立ガンジー博物館で「ガンジー展」がーわが人生が、わがメッセージーと題して今月から明年の9月まで開催されているそうです。インドは遠いから私も行かれませんが、旅行でニューデリーへ行く予定のあるかたは立ち寄られたらいかがでしょうか。

何故ガンジーなのか?彼は不服従運動や非暴力運動を行った人として有名である。

非暴力について彼の言葉を以下に引用したい。

•私は失望したとき、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利をしたことを思い出す。暴君や殺戮者はそのときには無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう。どんなときも、私はそれを思うのだ。

•狂気染みた破壊が、全体主義の名のもとで行われるか、自由と民主主義の聖なる名のもので行われるかということが、死にゆく人々や孤児や浮浪者に対して、一体何の違いをもたらすのであろうか。

「目には目を」は全世界を盲目にしているのだ。

私には人に命を捧げる覚悟がある。しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない


また、ある時ヒトラーがイギリス本土に侵入しょうとしたとき、ガンジーは英国民に対し「持っている武器を下において欲しい。武器はあなた方を、ないしは人類を、救う役には立たないのだから」と述べている。

20世紀は「戦争の世紀」と言われ、今も世界の各地で紛争は起きている。いかなる「正義」「大義」を掲げようと犠牲になるのは罪のない民衆ではないか。21世紀は「平和の世紀」にしなければいけないと世界の識者は語っている。その意味でもガンジーの精神を我々も学び、実践して次の世代に伝えていかなければいけないと思う。

以前、確かロバート・キャパの写真展だったと思うが、そのなかに不正確かもしれませんが、こんな言葉がありました。

「戦争を起こしたくなかったら、人間が変わらなくてはいけない。
人間を変えたければ、人間の心を変えなければいけない。」



やはり、行き着くところは「こころ」なんですね。


戦時中の話です。ある兵士が女性と連れ立って、やってきた。たまたま、そこに上官がいた。兵士が上官とすれ違った時、上官は「貴様は、ちゃんと敬礼しなかった」と言って兵士をめちゃめちゃに殴ったり、蹴ったりした。本当は、きちんと敬礼したのだろうが、上官には女性連れの兵士に「焼きもち」があった。そこで彼女の前で、さんざん殴った。それも大勢の人の見てるなかで。当然、兵士は反抗するわけにもいかない。

私は戦争には行ってないので、軍隊のことはあまり知りませんが、こんな光景は対中国、韓国に行ってもやってたんですね。

「狭い心」「いばる心」「嫉妬心」「自分本位」このような低次元の感情が人権を壊し、その延長に「犯罪」や「戦争」も起きるとしたら、どうです?他人事ではないですよね。問題や事件は、自分の身近に起きているんです。

「いじめ」とは「小さな戦争」とも言われていますから・・・

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posted by Koumei at 11:31| Comment(3) | TrackBack(0) | 日常の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月08日

こころの数はいくつ?

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今日は「こころ」について書いていこうと思う。昔の人は心は心臓にあると思っていたらしい。皆さんはどこにあると思います?

さまざまな出来事に縁して起こる喜怒哀楽。以前、心の中の引き出しはいくつ位あると思いますかとブログに書きましたが、よく女心と秋の空といいますが、それは女心が秋の天候のようにころころ変わりやすいことを言われているのでしょう。

女心だけじゃないんです。男女平等だから。人類平等だから。

天台大師という人が展開した「一念三千」なんですが、一人の心(生命)は三千あると言われている。そんなに自分はないという方もおられるかも知れませんがね。

孫悟空っているじゃないですか。彼はお釈迦さんに対し、如意棒をもって「俺は何処へでもいけるし、したいことをする。あなたとは違う」と自由奔放に行動していくんですよね。結果どうなったか?彼はお釈迦さんの手のひらの中でしか行動してなかったという。

これは何を意味してるんだろうか?人間は千差万別でいろいろな人がいます。顔かたちも、性格も違う。進む道も違う。しかし、宇宙の法則からは誰人といえども外れることはないということなんでしょう。

世間のルールや国の法律を守らなくても罰から逃れることは出来ますよね。ところが宇宙の法則に反したらどうなるのだろう?天の神が裁きをするのだろうか?そうではなく自業自得なんですね。

罰があたるといいますが、糞があたるとは言わない。糞は出るもんだ(汚い例えですいません)と言った人がいますが、私もその通りだと思います。良くも悪くも自分の行為の結果は自分で得る(報いを受ける)ととらえたほうが道理に適っていると思いません?


宇宙の法則から逃れることは出来ない


簡単に三千を説明すると、まず10段階の境界に別れています。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏で10の境界。そして、10の境界の中にも10同じく地獄から仏まである。これで100になります。(例えば極悪人の心にもわが子を慈しむ“菩薩”の心があるような)

100にそれぞれ十如是(相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟)があって千になりますね。これに3つの世間があるので三千になるということです。

簡単すぎて分かりにくいですね。

つまりこころの引き出しは三千あるということなんです。それが“縁”によって一瞬、一瞬引き出しから出しては閉まっての繰り返しなんです。私は絶対違うと言われたら孫悟空と同じになってしまいますよ。

こころってすごいじゃないですか。でも、こころって何処にあるんでしょう?外科医によって臓器は摘出することはできますが、こころは出来ませんよね。形は、色は、大きさは、長さは?分かりませんね。

心と身体の関係はお互いに影響しあっています。比例しますよね、心が病んでいるのに笑顔で颯爽としているなんてことはない。
逆に心がめげず、前向きに希望をもって生きてる人は輝いていける。

その一瞬、一瞬の思い、行動が自分の“蔵”に蓄積され、自分自身を形成していくことになり、“個性”となっていくんでしょうね。輪廻転生といわれますが、その“個性”“我”は死後も続いていく。

ある方が、心と身体の関係をエモン掛け(こころ)と洋服(身体)に譬えていました。洋服が落ちても(死んで肉体が無くなっても)、エモン掛け(こころ)は残る。と

いかがでしょうか?そうであるならば、生きてるうちに自分の罪滅ぼしをしとかないと大変なことになってしまいます。

非常に難しいテーマなのでまとまっていないかも知れません。また勉強してお伝えします。

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2008年10月07日

三国志ー孔明の将軍学ー

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ある識者が三国志には「覇道」と「王道」の戦いが描かれてると言われた。

「覇道」はいわば権力によって民衆に君臨するいき方である。それに対して「王道」は人間主義の力によって民衆を守り、戦っていくいき方あると話されている。

猛威をふるう南蛮の王、孟獲を捕らえるのは簡単だったがそれでは心からの心服には至らないと見た孔明は「心を攻める」戦いをすることは以前のブログにも書いてありますので読んでくださいね。

孔明が「私は7たび捕らえて、7たび放した。余人に代えられぬ、南王は孟獲だ。天子の願いに応え、民百姓を慈しみ永遠の平安を築くがよい」と言われた孟獲は心血を注いで南中を治めることを誓うのである。

この一言だけでも孔明のいき方が「王道」を貫いたことが分かるのではないだろうか。あなたの主人(リーダー)はどちらでしょうか?

以前、私が読んで感銘し、ノートに書き写した“孔明の将軍学”をお伝えします。

@「人材の登用」
「人材を推挙するほど忠義で利益になることはない」と孔明は述べている。彼は身分の序列などにとらわれずに力ある人間、優れた人間を抜擢し、適材適所に配置していった。また、自分の好き嫌いで人を判断するのではなく、正しく人物を評価することを訴えている。

A「団結の重視」
孔明は戦いにあたり、全軍の心を一つに団結させるべきだと論じている。また、団結を乱す輩は厳正に処罰した。(泣いて馬謖を斬ったのも一例ではないだろうか)

B「情報の収集」
人々からの報告を大切にするとともに建設的な意見を出すよう、自ら人々に呼びかけている。傲慢にならず、油断せず、多くの人の意見を謙虚に聞いた。そして情報の真偽についても冷静に見極めていった。また「味方をつくった」ことである。周辺の少数民族とも積極的に連帯を結んだ。無駄な争いはしない。むやみに敵を増やすようなことはしない。これが彼の作戦の一つであった。 

孔明のリーダーとして高く評価される点は「号令がはっきりしていた」“これをやろう”と、戦いのホシを明快に示した。さらに孔明は「自ら先頭に立って働き、全責任を負った」。

「情けに負けて無能な者を登用し、街亭を失ったのはすべてこの孔明が罪だ。国を治める者はすべからく自らを律し、遵法に努めてこそ信が得られる。この敗戦の責は私にある。私を罰せねば国法が乱れるもとになろう」と馬謖を斬った際に、孔明は自分の位を辞職する旨を伝えている。決して自身の保身のために考えるリーダーではなかった。

ある識者は「自分は楽をして、人にばかりやらせるのは、リーダー失格である。一番の組織悪である。自ら先頭に立ち、自分が道を開いて、その上で指揮をとるのである」と言われている。

自分は号令だけ、部下にやらせて手柄は自分。失敗は部下に責任をとらせる。そんな方は身近にいますか?いたとしても“あんたが組織悪なんだ”と言えない社会に生きてる“私”がいる。

生活がかかっているから、「我慢」でしょ?  弱者はつらいね。

人間皆、平等と・・・違いは何か?立場や肩書きではなく、責任感の違いにならなくてはいけないのだろう。強者は弱者を守る責任ですよ。

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