2008年11月21日

誰が悪いのか

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今、若者の間で大麻を栽培し、吸っていることが問題になっています。先日、大麻の種をネット上で販売していた人が逮捕されましたね。この種の販売自体違法に扱われなければ問題はないそうなのだが、今回の逮捕は購入者のほとんどが大麻を吸うことが目的だったということなんです。こんなに堂々と販売されていたことに驚いたとともに、ある面、ネットでは欲しいものは何でも手に入ってしまうのでしょうかね。

私が活用している以上に今の若者はさまざまなネットワークをもっているんでしょう。もう一つ驚いたのは「学校裏サイト」です。名前だけは知っていましたが、このサイト約3万8千件もあるそうだ。

ネット上のいじめで韓国のスターが自殺をしてしまったことは前にも書きましたが、小中学校の子どもたちの間ではなんと、約4900件のネットいじめが確認されているんです。いじめる側も、いじめられる側の子どもたちもどんな大人になっていくのか非常に心配ではないか。

どうやってネットいじめをするのか?

@ 「無視しよう!」「顔がキモイ!」等の内容で掲示板などへの誹謗・中傷の書き込み。

A 掲示板などに、本人に無断で電話番号や写真などを掲載してしまう。

B 特定の子どもを誹謗・中傷するメールを不特定多数に送信(チェーンメール)。さらに複数の人に送るよう促す。

C メール発信者が第3者になりすましてメールを送りつけ(なりすましメール)、嫌がらせをする。

もし、私だったら@番ぐらいしかやり方は分からないが、今の子どもたちにとっては簡単に出来てしまうのだろう。これだけではない、こうしたプロフは単なる自己紹介サイトとしか思ってはいけないという。実は、子どもたちにとっては「出会い系」サイトなのだそうだ。

小中学生ではなく高校生だろうと思うのだが、中には裸の写真を載せている子もいて、プロフを介した援助交際も問題になっている。

今年の6月には携帯電話会社やパソコンメーカーに、子どもの有害サイトの閲覧を制限するフィルタリングサービスなどの提供を義務付けた「有害サイト規正法」が成立した。

問題は規制をしないよりしたほうがいいのだが、それだけで解決するのだろうか?「学校裏サイト」が4万件あることも問題だし、誹謗・中傷の書き込みは即、削除される方法を考えるとか・・・。

サイトが無理なら、子どもたちは知恵を使って別な方法を考えるのではないだろうか。メールだけでも出来るのだし。子どもたちの間では「3分以内ルール」というのがあるそうで、友人からのメールにすぐ返事しなければ人間関係がぎくしゃくしてしまうぐらい携帯に縛られているという。これだけでも、いじめは発生するでしょう。

子どもを食い物にする、大人の情報源も悪いが、子どもにモラルを教えていかなければ大変なことになると思いません?考えてみると、どうも大人が悪い。

今、子どもの気持ちが分からない家庭が増えているという。何故か?会話がないからだという。我が家には既に学生はいないのだが、会話は確かに減っている。特に、ブログを始めてからは・・・・。以前も書きましたが、パソコンに向かう時間帯は外にも出ない、人にも会わない、会話もない。この時間配分を何とかしなくてはいけないと感じている。

限られた時間にあれもしたい、これもしたいとなれば何かを犠牲にしなければならないのだろうが、やるべきことの優先順位は自分で決めていかなければならない。

優先順位といえば、”こんな自分に誰がした?”家庭環境や社会が悪いんじゃないかといわれる方も多いと思います。一面正しいかもしれないのだが、家庭を創るのも、社会的思想を育むのも”人間自身”の思想の反映じゃないのでしょうか?環境破壊も人間のエゴの結果じゃないですか。となると、”私の心””あなたの心””みんなの心”を優先して変革しなければ”方法論”では解決しないのでしょうね。

posted by Koumei at 11:53| Comment(51) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

キルケゴールの洞察

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キルケゴールの書物に「現代の批判」というのがある。1800年代の半ばであるから、150年以上前のものである。

その中で、キルケゴールは「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代であり、束の間の感激にパッと燃え上がっても、やがて小賢しく無感動の状態におさまってしまうといった時代である」と二十世紀末の社会を洞察した。

また、「ふらふらと過ごしている人、うかうかと暮らしている人、官能の快楽を追う人、つまり、お上品で無気力なままに、人の世を生きている事実からあの意味もなくにやにやと冷笑をもらすほか、なんら深い印象を受けとらない、そういう多くの人たち」とも。

生きることへの情熱を失い、感動の心を失った人々。自ずと、享楽に向かい、シニシズム(冷笑主義)が横行していく。とても150年も前に書かれたものとは思えない。

彼は、こうした時代は「妬みというものが消極的な統一原理となる」と指摘している。

妬みは古今東西変わらないんでしょうかね。文豪のゲーテには3種類の敵がいたという。それも彼が分析をしたのだが。そのうちの一つが“嫉妬”である。彼いわく「数の上では大勢いるのが、私を嫉妬する連中だ。私が、幸福であり、私が自分の才能によって獲得した名誉ある地位についているのが、気にくわないのだ」と。

嫉妬って女性の専売特許と思いがちじゃないでしょうか。ある時聞いたことがあるのですが、男の嫉妬は厄介だ、男の嫉妬は真っ黒だ!って言うんです。「感情は絶対的なものである。なかでも嫉妬はこの世の中で最も絶対的な感情である」とはドストエフスキーの言葉ですが、人間の感情のなかでも、嫉妬は最も強い感情とされている。

個人差はあるのでしょうが、この“ヤキモチ”ってものはどこからくるんでしょうかね?シェークスピアの言葉をお借りしよう。「嫉妬というのはね、何かあるから嫉くなんてものじゃありませんわ。嫉かずにいられないから嫉くんです。嫉妬ってものは自分で孕んで、自分で生まれる化け物ですもの」とオセロの中で書かれている。

キルケゴールが喝破した現代はマスコミにも毎日のように報道されているように、生命軽視、モラルの崩壊、快楽主義、嫉妬社会になってはいないだろうか。そして、これらは決して他人事ではなく、自分が当事者になる可能性だってあるのである。人間である以上。

先日、どこかのお巡りさんが女性の下着を盗んで逮捕されとことが報道されてました。下着ドロボーって結構いると思うのですが、彼は地元では“人柄の良い”評判のお巡りさん。しかも、来春定年というのに・・・。「魔が差した」のか?ずっと抑えていたものが抑えられなくなったのかはわかりません。でも、“自分に負けた”んです。

本質的に誰もが心の中にある“化け物たち”をいかにするのか?コントロールできるのだろうか?この病いを克服する処方箋はあるのだろうか?

キリスト者であったキルケゴールは、個々の現代人が「宗教的内面性」「不動の宗教性」を獲得する以外にないという。やはり、宗派はともあれ行き着くところは“宗教”“哲学”なのかもしれない。

問題はどの羅針盤を手にするかが大事なのだろう。
posted by Koumei at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっといい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月19日

寝る子は育つ

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昨夜は久しぶりに22時前に就寝し、しっかりと鋭気を養ったと思う。寝すぎ?よく、そんな早くから寝れるねという声が聞こえてきそうですが、ある意味、眠い時に寝れるって幸せですよね。

50代の私ですから余り関係ないのでしょうが、寝る子は育つというじゃないですか。睡眠をとることにより、生命は維持されるし、記憶、学習能力、創造性、意欲や心の安定にもつながる訳ですから寝不足の無いよう心がけたいと思う。

多くの研究論文の結果をまとめて、公開しているアメリカの睡眠財団によると、以下が適正な睡眠時間だという。

新生児(1~2ヶ月)・・・・・・10.5〜18時間

乳児(3~11ヶ月)・・・・・・9~12時間(これに加えて1~4回の30分〜2時間の昼寝)

幼児(1~3歳)・・・・・・・・12~14時間

学童前期(3~5歳)・・・・・・・・11~13時間

学童期(6~12歳)・・・・・・・・10〜11時間

ティーンエージャー(11~17歳)・・8.5〜9.25時間

成人及び高齢者・・・・・・・・・・・7〜9時間

個人差もありますが、一つの目安にしていただきたいと思う。意外と長い時間が理想とされているんですね。日本は勤勉な人が多く、伝統的に睡眠を軽視する傾向があるじゃないですか。寝る時間を割いてまで頑張ることを美徳とする風潮も根強いですから。“ナポレオンだって3時間しか寝なかったんだから、大丈夫だよ”って。しかし、これは科学的には間違いだという。

昔と違って朝起きて、昼間に活動して夜は床に就くとばかりには今の現代はいかない人も多いのだろう。当然、生活のリズムも他の家族とは違ってくるし、難しい部分もあろうかと思う。その中で工夫をしながら睡眠時間を確保することが健康を維持する根本かと思う。

若いときの私もそうであったが、夜、寝不足が多いと朝、起きるのがやっと。朝食も摂らずに出勤。これが後々、身体にも悪影響を及ぼす。親の影響もあるのだろうが、生活習慣病になったのはこのような生活リズムが原因なのかもしれない。

子どもの場合、朝寝坊して食事もしないで学校に行くことが習慣になってしまうと、脳がしっかり働かず、集中力や注意力の低下をもたらし、学力にも影響するという。

大人だって健康だけでなく、仕事のやる気にも影響ありますよね?この年になって思うのですが(遅い?)、朝が一番大事なんですね。朝の気力の有無で一日が違ってくる。心と身体のバランスが崩れてくるとリズムが合わなくなってくる。朝のリフレッシュが本当に大事だと思う。

どうですか?皆さんは十分に睡眠とっていますか?「自分は若いから大丈夫!」と思われますか?

そうだとしたら、「若者の慢」かも知れないですよ。そう、慢心なんです。他と比べて自分は違うんだと。病人をみれば、“自分は健康だ”と年寄りをみれば“自分はまだ若いんだ”と。

私も少し(?)前までは、青春を謳歌してましたが、時は平等に過ぎているんですね。気がついたら孫もいる“ジィジィ”なんですよ。どうか今、若者の人も20年後の自分を考えてリズム正しく睡眠はとって下さいね。今日は大きなおせっかいになってしまいました。
posted by Koumei at 16:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 日常の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月18日

学ぶはまねることから

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評論家で鶴見俊輔という方がいるんです。86歳なんですが、18才の時にニューヨークの図書館でアルバイトをしていた時にヘレン・ケラーに会ったそうです。その時にたまたま座談会になって、彼女は参加者一人一人に「あなたはどういう人ですか?」と聞かれたそうです。傍に手でモールス信号みたいにして伝える通訳がいて、鶴見氏は「ハーバードの学生です」と答えた。

彼女は「私はハーバードの隣のラドクリフに行っていた。ラドクリフでたくさんのことを学んだ。その後、社会に出て、そこで学んだことをアンラーン(unlearn)した」と言われた。

アンラーンというのは、「学び解く」という意味だという。学校で学んだことをそのまま学術的に復唱するのはラーニング(learning)
で、アンラーンというのはそれを自由自在に使いこなすということなんですって。ところが日本の大学出はほとんどアンラーンしていない。そこが問題ではないだろうかと鶴見氏は言う。

苦労は買ってでもしろ!といわれますが、やはり、苦労したひとは“いい顔”してますよね?本人は意識してなくても、話す言葉に含蓄もあるし、味わいもある。“自分の顔”は自分の人生の歴史を物語るんでしょう。男は化粧しないから誤魔化しようがない。女性は化粧で雰囲気変わりますが“目”だけは男女ともに誤魔化せない。人生の“名優”を目指す我々としては“目力”は大事ですよね?

余談ですが、KYって「空気読めない」でいいんですよね?最近、どなたか漢字を間違えて読んだことがニュースになり、KY(漢字が読めない)の総理って言われてましたね。これじゃ分かってしまいましたね、誰のことか・・・。本人いわく「勘違いだよ」といっていましたが。間違えたことを問題視するより、彼がラーニングだけの人かアンラーニング人かが重要なんだと思う。頭がいい=人格者とは限らないのですからね。

「知識より知恵を出せ!」と言われますね。一つエピソードを紹介します。紙芝居作家の加太こうじ氏の話なんですが、彼は小学校しか出てないという。戦時中、彼の弟がアカということで捕まった。それで彼は必ず特高(特別高等警察)が自分のところにも来るだろうと思い、鏡の前で一生懸命練習を始める。何を練習したのかって?「マルクス、ロシア人」「マルクス、ロシア人」と口癖のように・・・。

ある日、案の定、特高が来て、「おい、この家にマルクスの本はないか?」と尋ねる。彼は間髪入れず、「マルクス?あのロシア人ですか?」と答えたという。特高は「マルクスがロシア人だって?ばかなこというな。マルクスはドイツ人だよ。こんなやつの家にあるわけがない」といって帰ってしまった。

加太氏はこのように「無知」を装い、「知恵」を使ったのである。彼は大学出の知恵とは違う知恵をたくさん持っていたという。

このような“知恵”を学びたいものですね。しかし、それは“味”というか“感性”というか身につけることは大変です。ある識者は「いかなる分野でも、最初は“ものまね”から入ることも多いでしょう。“まなぶ”とは“まねぶ”からきたという。初めから独創性が発揮される訳ではない。ピアノでも、鍵盤もちゃんと弾けないで自己流でやっても、それを独創とはいわない。初めは“まね”も“新たなる芸術”を引き出すための手段になる」といわれている。

“まね”から“独創”に至るまで何が大事なのだろうか?

識者は「目から入り、耳から入ったものだけでは“模倣”で終わる。心が大切です。自分自身の“心”で感じ“心”で表現していくことです。そのためには、血のにじむような努力と追求、精進がいる。それによって、だんだんと、自在に表現できるようになるのです」と。

安逸の中では“独創”は生まれないんですね。努力なんだ。レオナルド・ダ・ヴィンチは手記に「可哀想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」と書いている。また、また、ベートーヴェンは、死ぬ間際の病床にあっても、ヘンデルの作品集を勉強しようとして、「私は、まだまだ、この人から学ばなければならない」と言っていたという。一流の人、偉大な人は謙虚に、生涯“学ぶ心”を持っていたのですね。

私も見て、聞いて、読んだものを記事を通してお伝えしている。人の言葉も多々借りながら・・・。まだまだ、独創性のある記事とはいえない。今後もいろいろ勉強しながら、“自分力”を出せるよう精進し、“心の感性”を磨かなければいけない。

今後とも、読んでいただいた感想、コメント宜しくお願いします。
posted by Koumei at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月17日

廃棄食品を考える

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このブログは横浜から発信しております。先日、ニュース番組で見たのですが、私の住む隣の区に格安の定食屋があることを紹介しておりました。トン汁定食やアジフライ定食などが300円。安いでしょ?一品ものはもっと安い。市内にそんな安い定食屋があるのか?と見入っていると、そこは知る人ぞ知る通称「西部の町」の中にあるんです。

この「西部の町」は仕事のない人、その日暮らしの人たちが住んでいる特殊地域をいいます。もちろんその中は簡易宿泊所がほとんどである。
そのような低所得者用に安く食べ物を提供しようと、この定食屋は存在する。週に7回以上という“マイ食堂”のように利用する客も多いとか。

いくら安く提供するにしても、仕入れはどうするのかと思ったら、コンビニあるじゃないですか。そこに置いてある弁当。賞味期限ありますよね。買う時にいつの何時までって明記してありますが、2〜4時間前に廃棄処分にするそうです(番組ではローソンでしたが)。その廃棄品を定食屋の店長は仕入れいや、ただで貰い受けるんです。しかも、弁当だけではないんです。調理された材料も出る時がある。きんぴらとかマカロニサラダといったような物まで、無料なんです。

賞味期限まで2〜4時間の間に調理するものは調理し、温めてOKなものは温めて出す。本来、廃棄される食料がこのように再利用され安くお客に提供でき、お客は安くて助かるといいことずくめではないだろうか?しかも、その分のゴミが減る、環境にもいい。

スーパーは時間サービスとかで賞味期限が近くなるにつけ半額とかで食品を売るじゃないですか?でも、コンビニはその2〜4時間の猶予があるときにどうして半額セールってできないのだろうか?多分食品衛生法とかいう法律で決められているんでしょうね。

そうであるならば、先の定食屋だけではなく、いろいろ提携し他のところでも再利用し、安く提供するというのは庶民も助かるじゃないですか。番組でも言っていましたが、「廃棄する弁当類を瞬間冷凍して難民に届けるとか出来ないのだろうか?」と。

日本では毎日約2000万人分の食料が、賞味期限切れなどの理由で棄てられているといいます。これが減らせるじゃないですか。

実は、私は自分本位、自分勝手なんだと思います。何故かって?我が家に牛乳が2本あったとします。賞味期限古いほうから飲みます。期限が切れて捨てるのはもったいないじゃないですか?でも、スーパーやコンビニにいくと手前(賞味期限が短い)を避けて奥から取ってくる。売れ残ったら廃棄され、ゴミになってしまうことは考えずに。皆がそうすれば、当然手前は売れ残りますからね。

エコは出来ることから始めようと前にも言いましたが、例えば、コンビニやスーパーで購入する際、古い食品から購入することが“エゴ”ではなく“エコ”になるんですね。ある新聞広告のコンテストで「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」というのが入賞しましたそうです。

飽食や贅沢を見直すことで、食料運送や消極処分時の環境負担を減らすことができます。ムダを減らして、CO2排出を減らしましょうね。

最後に、難民に届けられたらどんなにか素晴らしいことか。以前、ジャンボが墜落して乗客が全員死亡と報道されたら大変なニュースになるが30分に500人が餓死してもニュースにならないという趣旨のことを書きましたが、今や、30分では856人もの子どもたちが亡くなっているという。一分に28.5人ですよ。

衛生法も大事だが、ゴミにするなら国内外で助かる人のために何か方法を考えて貰いたいものだと思いませんか?
posted by Koumei at 14:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月16日

楽観主義でいこう

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現代社会は、悲観主義や冷笑主義(シニシズム)に覆われているという。頭では、明るく前向きに生きる姿勢が大事なんだと分かっているのだが、なかなかそれが出来ないでいる。楽観的であることを蔑視する人もいる。何故、そうした風潮が広まったのか?楽観的に生きるとは、実際どのような意味なんだろう?

現代人はなぜ、物事を悲観的に、冷笑的にとらえてしまうのか?精神科医の先生は「一つの要因として、自分に自信が持てないことが大きいと考えられます。家族や友人に支えられているという信頼感がないのです。そこから、不安や不信の中に沈み込んでいく」という。

また、人間関係の希薄化も大きな要因だともいう。10年ほど前から、ひきこもりの人たちの診察が増えたそうだが、その人たちの中には、バーチャル(仮想的)な世界にハマることで、対人関係の中で癒されたり、傷ついたりしながら成長していく、という機会が減っている人も多いらしい。

これは、若者だけではなく大人でも言えるのではないだろうか?最近、一人住まいの人って結構いますよね。ある方が言ってましたが、「俺は、あなたと違って家族がいないんで、テレビと会話してるんだ」って。孤独なんだと・・・。テレビが友達とはまさに、バーチャルの世界に入り込んでいるのでしょうが、現実、どうしようもないのかも知れない。

どう思いますか?核家族になり、今後はもっと一人で生活を余儀なくされる方は増えるのでしょう。しかし、私は思うのですが、家族がいても“孤独”を味わっている人もいるし、逆に一人暮らしでも人生を謳歌してる人もいるじゃないですか(特に、女性が多いのかも)。この、分岐点はどこにあるのだろうか?

当然、個人差はあるのでしょうが、生来、女性のほうが芯は強いのかもしれない。例えば、連れ合いに先立たれた場合ですが、“奥さん”に先立たれた後の男性は落ち込む人が多く、死亡するまでの年数が女性より短いと言われていますね。生前、ご主人がいないと何も出来なかったという婦人が、一周忌、三回忌と時を経ることに元気で生活されている姿は、私も数多く見させていただいてます。

こうしてみると、一見、“強そう”な男性も自分に自信がない人が多いのかな?(これで、男性の敵を増やしてしまうのか)男性の場合、ある期間、仕事中心で生きることが多い。1歩、外に出ると人間関係の狭間にいる。「あまり、率直に意見を言えば、同僚や上司からの印象が悪くなる」「自分の考えた意見は、相手には正当に受け止めてもらえないのではないか」などと、心配や不安が先にたってしまい、仲間であるはずの人が否定的な存在に感じてしまう。そうなると、必然的に人間関係も表層的で薄っぺらいものにならざるを得ない。そして、定年後も変わることが出来ず、“人の輪”に入れない、コミュニケーションが出来ないということも言えるのではないだろうか?

心配なのは、若者だけではなく我々世代なのかもしれない。

家から1歩出てみよう、人と会って話をしてみようから始めてもいいのだろう。人と会って語り合う中で、安心したり、再び落胆したりとあるかもしれない。しかし、その繰り返しの中でこそ“己を知る”ことも“自身をつくる”ことにもなるのだから。

バーチャルな世界ではなく、生身の関係の中でこそ、頭で考えることと、気持ちの面での調和が図られ、自分らしい理想や目標も、さらには“自分自身”を理解することができ、周囲の環境に振り回される心配はなくなるという。そして、現実社会や他者との中で、自分を位置づけることができるようになる。

楽観主義とは“何とかなるから楽しくいこう”と誤解されている方もいるようですが、そうではなく何があっても悲観に陥ることなく前向きに捉え、着実に前に進むことが楽観的な生き方なんですから。

ということは、このブログもバーチャルになるのだろうか?読んだら感想をお願いしますね。

「そうだ、京都に行こう!」じゃないですが、そうだ、人と会おう!語り合おう!これも大事なんですね。
posted by Koumei at 12:24| Comment(1) | TrackBack(1) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月15日

個々人の役務

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人生は“四苦八苦”といわれるように苦しみ、悩みのない人はいないですよね。仕事や病気、子育てなどさまざまである。心が折れそうになる時もあるし、もうダメかもしれないと思うときもある。

その困難をどのように受け止めるのかは人によって違うのだろう。他の人には乗り越えられるであろう問題も人によっては死を選択せざるを得ないこともある。

自転車プロロードレースのランス・アームストロング選手は、生存率3%というガンを乗り越えて、世界最大の自転車レース「ツール・ヂ・フランス」で史上初の7連覇を達成した。彼は何と言ったか?

「ガンは僕の人生に起こった最良のことだ」と言う。

何がそう言わせるのだろう?苦しみと楽しみは表裏一体といわれる。
ある人は「人生に、苦しみというものはある。苦しみがなければ、遊楽という楽しみを、しみじみと味わえないのである。そこが、よく解ると、生きていること自体が楽しくなる」といわれている。また、先日紹介した伊藤塾のモットーは「もうダメだと思うときこそ、ゴールが近い」だそうです。また、山登りにしても、頂上が見えてからが本当にきついものです。「もう限界だ」と苦しくなったときは、それだけゴールに近づいたのだと思ってほしいとも。

1999年に政治から引退したネルソン・マンデラ氏は南アフリカ共和国の大統領だったことは皆さんもご承知の通りですが、マンデラ氏は反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕され、確か20数年の長きに亘り刑務所に収監されるという苦難を味わう。しかし、彼は釈放後も運動を再開し、民衆の支持を受け大統領となるのである。

よく、人生はドラマといわれますね。苦境を乗り越え最後はハッピーエンドを迎える。逆に、順風満帆の人生だった人があることが契機で奈落の底に落ちるということは現実に数多くある。最初からハッピーエンドだけでは感動も生まれないのでしょう。しかし、たまに、はまり役の人がいて“貧乏役”を、最後まで演じてしまう人もいるみたいだが・・・。

人にはそれぞれの役割があるのだろう。人は生まれながらに“宿命”を背負ってくる。前世の“負”をそのまま引き継ぎながら“今世”で悩み・苦しむと。そう考えると悩み・苦しんでいる人はみんな前世の報いを受けているんだなって思ってしまいません?確かに生命は輪廻するので、業を受け継ぐというのは道理に適っています。

ところがもう一つの捉え方があるんです。「私はこの世に生まれる前にお釈迦様の教えのすべてを学んで徳も積んでいるが、生まれるときには是非、娑婆世界(苦悩に満ちた衆生がいる世界)に生まれたい。せっかく人間の世界に生まれながら、地獄や修羅、畜生、餓鬼のような生活をしている哀れな人たちを救ってあげたい」という思いで、仏に強いられたのでもなく、他の誰かに強いられたのでもなく、自ら願ってこの娑婆世界に出てきた、いや、願って生まれて来たんだという捉え方です。

誰でも悩み・苦しみはあるのですが、それを乗り越え・勝ち越えていくことで同じ苦しみの人に勇気と希望を与え“立ち直らせる”使命を持っている人も、与えられ“立ち直る”使命の人もいるのでしょう。

同じ人間なのだが、業を自ら受けて生まれてきたのか?敢えて願って業を兼ね備え、人を導いていくために生まれてきたのか?いずれにしても、この現実世界にいるのである。まがいの人もいるし、顔や姿だけではわからないのだが、“一流は一流のみがわかる”と言われる様に世界のどこかで一流同士の「対話」はされているんでしょうね。民衆をどう導いていくべきか?と。

そう考えると誰一人“役割り”のない人はいないんですね。ただ、私も“何か”のはまり役だけで終わらないよう、起承転結のドラマを演じられる”名優”を目指さなければいけないな。

台本、脚本はどこにあるのだろう?

”ガンジス”のインドのお婆さんみたいにしましょうか? ”自分の胸を指す”そう、笑いながら”そっと、自分の胸を指す”これで、いいでしょうか?
posted by Koumei at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっといい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

ネットワークも使い方次第

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今日は山口県下関市の山奥に住む、ユニークな若者の話をお伝えしたい。彼は下関の高校を卒業後、18才の時に東京の代々木アニメーション学園に入学し、デッサンやフォトショップ・マック等のソフトの扱い方を勉強した。卒業後、就職に失敗し、趣味のゲーム制作をしながらぶらぶらとその日暮らしをしていた。いわゆるフリーターであった。そんな時に、自分の母親が癌であることを知り、地元の下関の山奥に戻り、母親の看病をしてあげるのだが、母は他界してしまう。実家は住む人もいなくなり、生まれた家がどんどん寂れて汚れていくのが嫌だと思った彼は、そこに住むことを決心したのであった。

しかし、場所は下関の山奥である。職は見つかるだろうか?どうやって生計を立てればいいんだと途方にくれた。ところが、いざ就職をし始めると、予想に反し、彼を採用したいという中小企業が山のように現れたという。何故なのか?

彼のようにパソコンのスキルを持った人が、山奥にはいなかったからだという。彼は、これからは健康がテーマになるだろうと思い、最終的に健康食品を売る会社に入社する。会社としても、彼に来てもらうために、それまでなかったウェブ部門を立ち上げ、そこのリーダーに抜擢。給与面でも特別待遇。同時に、就職する条件として、会社に副業も認めさせ、面接した会社のウェブ制作も個人の仕事として行い、副収入さえ稼ぐ立場を手に入れたのである。

正社員になること自体が厳しい現実の中で彼は「正社員プラス副収入」を手に入れたことは現代ビジネスマン多くが夢見る待遇ではないだろうか。この理想とも言えるワーキングスタイルを、“下関の山奥”で手に入れたのだ。

彼いわく「東京だとパソコンができる人なんてたくさんいますから、なかなか就職できなかったんです。でも、山口だとパソコンのスキルがあるだけで引く手あまたなんです。生活費や物価も東京と比べると格段に安いし、特別待遇で就職できたうえに副収入も入り、満足いく収入で好きな仕事ができています」と語っている。

これは、単に彼にパソコンのスキルがあったからだけではないという。東京にいる時も山口の友達と連絡を取り続けていたので、いろいろな会社とネットワークが出来ていたことと、それを維持しながら、山口に戻ってからも更に拡大し、有効活用したことが大きな要因であったことも見逃せない。まさに、偏差値の上下を超え、フリーターから勝ち組に転身したいい例ではないでしょうか。

さらに驚くことがまだあるんです。彼は初恋の元同級生と結婚したのです。勝ち組になり、初恋の人と結婚できたなんていいな〜。じゃないんです。

その奥さんも自宅で仕事をしている。「チャット・レディー」という仕事で、要は出会い系サイトのようなものです。客は現金でポイントを購入する。5千円で50ポイント購入でき、50分間気に入った女性とチャットできるという。女性側はウェブ・カメラで自分の姿を写しながら話さなければならないようですが、男性客からすると、キャバクラのように直接会う緊張感もないし、ぼったくられる心配もないし、自宅で気ままな格好で女性と話すことができるので、このサービスの人気は上がっているという。

女性と話すのも機会越しというのはどうも昭和生まれの私としては抵抗があるというか、顔を見ながら話すのが“当たり前”じゃないのという考え方が強いですね。時代遅れなんですかね、私が。

余談はさておいて、この奥さん、今では一日にたった1、2時間を週2、3回チャット・レディーになるだけで、1ヶ月に10万近く稼げると言う。時に必死で口説いてくる客もいるようですが、それから逃れるのも面白いそうで、夫婦の楽しい共通話題にもなっているそうだ。

何故、奥さんのこともお伝えしたのか?このことも彼は山奥にいながら、秋葉原のオタク友達とネットワークでつながっているがゆえに、彼らから情報を得、奥さんにさせても安心であること、奥さんの暇な時間もつぶせること、家庭の稼ぎにも貢献させられることを知っていたから。このようにネットワークを拡大し、有効利用する若者は都会だけではなく山奥にもいることは一種の驚きであるし、これからは地域の格差もなくなるのだろう。特にネットの世界に関しては。

我々大人もネットや携帯を悪者にし、騒ぐだけではいけないのだろう。私たちも有効利用し、ネットーワークを作り、多くの若者とも交流を繰り広げ、お互い悪いものは排除していくことも大事かと思う。悪用さえしなければいいネットワークも出来るだろう。

ビジネスにしても、日記にしても顔を出し、氏名を明かしてもいいのじゃないかと思うのですが・・・。会社員は副業がばれたらダメなんですね。顔も名前も分からないからといって“ウソ”だけはつかないで欲しい。いいネットワークにしていきましょうね。
posted by Koumei at 15:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

ネットワークの時代

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今や小学生から携帯電話を持っている時代、中・高校生はほとんどなのだろうか。若者のネットワークは我々の想像を超えて、携帯のメルアドやSNSの普及・交換によって、意図せずに巨大なネットワークを持つようになったといわれる。

そのネットワークは、大人が考えるほど浅く表面的なものではなく、意外と継続性を持っていて、かつての村社会が持っていた陰湿さ、いじめ、過剰な気遣い(悪い意味での)など、「人間関係の息苦しさ」を引き起こしている。

情報量の多さ、更新速度の速さゆえに、未体験の出来事をあたかも自分が経験したことがあるように感じさせてしまう「既視感」(きしかん)も生み出した。例えば、ハワイに行ったことがないのに、ハワイに行った友達のブログをみて、自分も行った気になってしまう、などといったことだそうだ。本は沢山読みなさいといわれますね。読むことによりさまざまなことが学べる。ネットも使い方ではないかと感じる。ただ、私もそうだが、出かける回数も少なくなり、行動範囲も狭まっているのではないかと思う。

昨夜、テレビでネットに関しての番組がありましたが、ネットにはいい面も悪い面もありますね。韓国ではスターがブログに誹謗・中傷が原因で自殺するという事も起こっている。しかも、投稿者は実名なんですって、韓国では。大人も子どもも同じなんですね。嫌がらせやいじめの心は。残念ながら・・・。

就職をするにも今ではパソコンができなければいけないぐらいの状況ですよね。世の中で言われる「格差」といえば、これまでは「経済格差」のことでした。しかし、今後は「ネットワーク格差」によって、人生の勝ち負けが論じられていく時代になっていくのではないかと言われている。特に多くの若者はネットワークを有効活用している。

ネット使用により行動範囲が狭まってしまった若者が増えているのも現実だが、平気で1000人規模を集客したイベントを開いている子が結構いるんだとか。内容はクラブイベントであったり、ダンスイベントであったり、昨今流行の環境問題をテーマにしたイベントだったりとさまざまだという。

私たちの時代では考えられませんよね。高校時代に1000人規模でイベントをするなんて。いかに今の若者のネットワークが広いかという証左なんだろう。

それと、私たちの時代は似たもの同士で遊んでませんでしたか?ガキ大将はガキ大将同士。がり勉はがり勉同士みたいに。それと、オタクは私たちの後に現れたと思うのですが、このオタクもイメージ的にはあまり洋服にこだわらないという感じですよね?いわゆるダサイ格好をしてるという。ところが最近では普通の人と遜色の無い洋服、いや、それ以上にお洒落な格好をする若者が増えているそうだ。テレビでもオタクのイメージ(ダサイ)の人を探すのは大変らしいですから。

がり勉の人って以前、ぱっと見てわかりませんでした?このがり勉君も超受験校の卒業アルバムをここ数年をみると髪型等が、急激にお洒落になっているんだとか。私服もお洒落で、眉毛は整えていて細く、髪の毛にはシャギーが入っていたりと、ジャニーズ系が結構いるらしい。

オタクもがり勉も何故変わっていったのか?やはり、ネットワークが巨大化したので、オタクとギャル男もつながるし、がり勉とジャニーズ系もつながっていて、意図せずにお互い情報交換せざるを得なくなっていることが大きな要因ではないだろうか。

私もこのブログを通してさまざまな方とコメントさせていただいてますが、ほとんど顔も年齢も知りません。もしかしたら中には10代の方もいるかもしれませんね。私の世代ではパソコンを流暢に扱う人は周りにいませんが、10代は身近にも情報はあるし、ネットワークを我々より有効に使いビジネスチャンスを拡げていることは現実としてかなり進んでいるのかもしれない。

あと一つ、ビジネスといえばどうしても都会が有利と考えますよね。しかしインターネットを活用したビジネスは山奥にいても全世界に通じていく、これもネットワークの使い方次第で新しい展開が繰り広げられる時代なんでしょうね。

最先端とまではいけませんが、オタクにならず上手にネットを活用していきたいものです。ブログを始めてからいろいろ励ましやコメントをいただき感謝しております。あなたには。そう、いつも読んでいただいているあなたには本当に感謝です。今後も宜しくお願いします。


P1000338.JPG今日は孫娘が3歳6ヶ月なので、七五三のお祝いをしてきました。先ほどデジカメで撮りました(疲れからか笑顔がありませんね(笑。孫の本邦初公開ですよ。どうです?かわいいでしょ?そりゃ、孫ですから無条件でかわいいですよね。
posted by Koumei at 20:17| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

空気は読むのか創るのか?

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かつて国民的人気を誇った三波春夫という歌手が使った「お客様は神様です」というフレーズが大流行した時がありましたね。知らない方も多いかもしれない。これは「私の能力を最大限に引き出してくれるのがお客様。そのお客様に神の姿を見る」との意味が込められているらしい。お客様は神様ですとは、ファンを大事に思うところから出た言葉なんでしょうね。

ファンといえば、今回のアメリカ大統領選で黒人初の大統領に選出されたオバマ氏に関して、選挙の開票状況を伝えるラジオがある分析をしていた。オバマ氏には、「彼をホワイトハウスに絶対送ろう」という熱心なファン(オバマニアと呼ばれる)が、マケイン氏に比べて多かった。その差が勝敗を分けた一つの理由だと。

米NBCテレビの調査では、「熱烈に支持する」人の割合がマケイン氏の26%に対し、オバマ氏のそれは52%と倍に上っている。逆に消極的支持はマケイン氏が39%に比べオバマ氏は14%と圧倒的に少なかった。この調査を踏まえて東大教授の久保氏は「2年間の選挙戦で一度も揺るがなかった安定感に加え、“一つのアメリカ”を強調したオバマ氏にほれ込んだ有権者がいかに多かったか」と話されている。

味方、支持者を増やしていった・・・。そのような「空気」を創り出していけたのもオバマ氏本人の“人間力”に由るところも大きいのだろうが。

私たちも未来に向かい「何か」を変革しなければいけないと思いつつ、出来ないでいる。取り合えず「可も無く、不可も無く」他と足並みをそろえていけばいいやと。

大人だけではない、近年の若者の多くは空気を読みながら発言したり行動するという。とはいっても、空気を読むのは親密な仲間限定で、公共の場や自分と無関係な人に対しては、「空気」は関係ないらしい。

街に出て、インタビュー調査をすると、やはり、空気を気にしながら仲間たちとコミュニケーションを行っているという。しかし、その空気の実態は定かではないようで、「空気とは何ですか?」と聞くと多くの人は黙り込んでしまい、その後「雰囲気」や「流れ」と回答するそうだ。そして、「その雰囲気って何ですか?」とさらに聞いてみると、それ以上の回答が出る人は少ないのだとか。

確かに「雰囲気」や「流れ」しかないのだろう。一つは仲間たちとの常に求められる楽しい雰囲気であって、その楽しい場を壊さないようにお互い協力しているのである。悪いことではないのだが、“楽しい場作り”が仲間内だけというのが少し寂しい気もするのだが。

次に、その場にいる友人たちに同調するという面がある。周りからはみ出さない行動をとりつつ、共感が主体のコミュニケーションを行えることが“空気を読める人”になる。

よく、「空気読めよ!」って聞くじゃないですか?これは雰囲気、流れを壊すなと言われているんですよね。笑いながら言われれば、一面いわれた人に対しての救済処置、つまり、その場を和やかにする会話の潤滑油的役割をしますが、怖いのは、自己本位な発言で、その場の流れが自分の思い通りにならなかったことに対する「指摘や不満」を表すことではないだろうか。それでは「思っても口に出せない」というような「空気」のままになってしまう。これが仲間内だけじゃなく学校や職場で権力者に言われるとたちが悪いですよね。

いずれにしても、最低限のルールや友人への配慮はすべきなのだが、空気に支配されすぎてしまうと、自主的に何か動いてみたり、相手の意見に批判や否定もできず、個々の持つ独創的な発想や意見が出しにくくなることが問題ではないだろうか。

会話と対話は違うと先日ブログに書きましたが、会話はいいじゃないですか「空気」を読みながらでも。しかし、対話は「異なる価値観をすり合わせる行為」ですから、会話と対話を使い分けていきたいものだ。

対話の意味を今一度、考え直してはどうだろうか?「私はあなたと会話ではなく、対話をしたいのです」というのはいかがでしょうか?
posted by Koumei at 10:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月11日

電気自動車の元年が始まる

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EVパトカー.jpgEV(電気自動車)のパトカーが登場しました。三菱自動車は、来年の夏、市販予定のEV「iMiEV (アイミーブ)」を警察車両として使用する実証走行試験を、EVの普及促進を目指す神奈川県と協同で、7月から行うことを発表した。本格的なEVのパトカーは日本ではおそらく初めてという。

7月11日(金)に神奈川県庁で納車式が行われ、それ以降、来年3月までの約半年間、神奈川県警のパトカーとして運用される。
iMiEVは大容量のリチウムイオンバッテリーを搭載しており、200V・7時間の満充電で、およそ160kmの距離を走ることができる。乗車定員は4名。最高速度は130km/h。ベース車両のガソリン車と同じく、車格的にも性能的には軽自動車クラス。今回の実証試験でも、主に交通整理など、“ミニパト”として利用されるものと思われる。
以来、3ヶ月経つが1度もお目にかかったことはない。おそらく台数もそれ程多くはないのだろう。

2009年、三菱自動車と富士重工業から相次いで電気自動車(EV)が発売されることになりました。日産自動車も10年にハイブリッド車とEVを発売すると発表しましたね。多分車種はキューブなのかもしれない。大手自動車メーカー各社も本格的なEV進出が一気に進む09年はEV元年になるだろうといわれている。

電気自動車のイメージは重くて、遅くて、走らないうえ高価じゃないかと思っていましたが、市販されるころにはかなり高いレベルになることは想像にかたくない。

私としては燃料代がどれぐらいなんだろうということが非常に気になるところなんですが、東京から北海道まで1700円で行けるんですって。1700円ですよ、凄くありません?しかも、深夜電力でまかなったとしたら東京から北海道に移動しても、燃料(電気)代は500円程度にしかならないそうです。

ここ最近、ガソリン代が少し下がってきましたが、20年後には枯渇するだろうと予測されています。このまま下がるとは言い切れない。油田は残量が少なくなればなるほど汲み上げることそのものが難しくなり、原油の価格は上がっていくといわれます。

燃料代はガソリンと比べ、約7分の1ですよ。CO2排出量は約五分の1という。もし、仮にバス・貨物を除いた乗用車が全部電気自動車に変わったとすれば、約51億トンあるCO2排出が0.3億トンに削減できると考えられている。そうすると、日本全体の約8%に相当するCO2の排出量を抑えることができるのだそうです。

燃料は電気で、急速充電器を使えば15〜30分で約80%充電できるし、家庭用コンセントからでも数時間で充電できるという。しかも環境に優しいとなればいいことずくめじゃないですか。

ただ、問題点がないとはいえないようだ。価格をどこまで安くできるのか?環境省はEVの普及を促進するため、公用車として購入する自治体には既存車との差額の半分を補助する方針だ。さらにEV化が進めば同程度の補助が、個人も受けられるようにもなるという。また、各自治体別途補助を用意している場合もあるという。

例えば神奈川県では国の補助の半分を補助する。さらに自動車税と自動車取得税の90%を免除する。そうなると補助は半額近くになる場合もあり、車両価格が300万程度であれば、購入価格は150万程度になる。現在の軽自動車のターボ付き上級車程度の価格になるのでしょうか。ただ、普通車になるともっと高くなるのでしょう。

そうそう、一回の充電でどれぐらい走れるのか?気になりますね。三菱のi MiEVは160キロ走れるそうです。スバルは80キロという。フォルクスワーゲンの技術者は一回の充電で500キロ走れるようにできたら、自動車はすべてEVになるだろうといっているようですからかなりの車種が市販されるのは遠い未来ではない気がします。

EVは遅いんじゃないの?と言う問題もクリアできてるそうで、神奈川県警のところで紹介したように130キロは出るらしい。普通使用なら問題はないと思える。最後に残るのは、バッテリーの質ではないだろうか。携帯電話と同じに考えるのは失礼かもしれないが、バッテリーは最初のうちはいいのだけれども、だんだん走らなくなるという。EVに乗るには“走らなくなる”ことを理解した上で乗らなくてはならない。まさに、心臓部のバッテリーの改良が急務なのかもしれない。ともあれEVはスタートを切る。

posted by Koumei at 12:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 私のおすすめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月10日

継続は力なり

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成功者は皆、「続ける力」を持っている。「続ける力」さえあればどんな夢でも叶うと司法試験界の「カリスマ塾長」の伊藤氏が教える、夢を実現させる生き方をお伝えしていきます。自分にも言い聞かせながら・・・。

まず、合格・不合格を分ける最大のポイントは「続ける力」があったのか無かったのかだといいます。当然、個人差はあるのでしょうが、不合格のまま終わる人のほとんどが、頭が悪かったのではなく、勉強を「続ける」ことができなかったんだと。

これは勉強にかぎらず、スポーツや芸術、またビジネスの世界でも同じですよね。成功し、勝利を手にした人は「続ける力」を持っている。では、なぜ多くの人が一つのことを続けられないのか?

私も一安心したのですが、続けられないのは“意志が弱いから”ではなく「続ける技術」を知らないからだと言うんです。

勉強だと基礎的な知識の暗記、野球だとキャッチボール・素振りなどブログだとキーボードの練習?いずれにせよどんな分野でも成長するためには退屈で単純なことを繰り返す必要がある。なので、普通の人は耐えられず諦めてしまうのだと。

どうすればいいのか?そこが知りたいじゃないですか。「続ける技術」退屈で単純なことを続けるコツを伊藤氏の話しから紹介しましょう。

1つ目は「ゴールからの発想です。たとえば、「3年後に司法試験に合格する」といった決着点の遠い目標では日々のモチベーションを維持しにくいといえます。そこで大切なのが、ゴールから逆算して計画を立てることだと。3年後に合格するためにはどれくらいの量の勉強をしなければならないのか予測し、1年後ならどのくらい、1ヶ月後なら、1週間後ならと逆算していって、今日は何をすべきかをきめることですと言われる。

何年後に買い物する為にいくら必要かと”お金”で逆算すると、より分かりやすいかもしれませんね。

2つ目のコツは「細分化」だという。これは「ゴールからの発想」にも通じることなのだが、目の前の1歩1歩に集中することだという。一度に多くのことに手を出すよりも、やるべきことを細かく分けて、順番に決める「細分化」方式のほうが効果的ですって。たとえ小さなことでも、一つのことをやり遂げればそこに達成感が生まれる。その達成感が「続ける力」につながる。

私もあれやこれやで一日にやらなければいけないことが多い時は、全体を考えるとパニックしそうになるが、正面から見て一つだけ、最初にやらなければいけないことに着手し、終われば次へといきます。“今、の時にやるべきこと”を1つづつやる。これですね。

三つ目が「習慣化」という。指先にトゲが刺さっただけで、気になって何事にも集中できないという経験は皆さんあると思います。トゲじゃなくてもどこかが痛くて集中できないって。人間は安定を求める生き物で、少しでも違和感があると行動に支障をきたすそうです。ゆえに、勉強や練習を「特別なこと」「例外的なこと」と思っているかぎりは、なかなか続かない。毎日の洗顔や歯磨きのように、「勉強や練習をやらなければ落ち着かない」と感じるまで「習慣化」できれば、目標の5割は達成したともいえる。

どうでしょうか。以上3つの「続ける」コツは参考になりましたでしょうか?

最後に伊藤氏は「夢を抱くうえで大切なのは、それが地位や名誉など自分の欲望を満たすためだけではなく、社会に貢献し、周囲の人の幸せにもつながる夢かどうかです。社会にとっても有益である場合、その夢はミッション、つまりその人にとっての「使命」だといえます。社会に貢献する「利他」の夢に挑戦している人には、いつしか手助けしてくれる人が現れ、夢の実現を後押ししてくれるものです」と。

助けて欲しいという前に、何事も挑戦し続けていくなかに、充実感や達成感が得られ自身の向上にもつながるのでしょうね。

働く・・・はたらく・・・傍を楽にさせるために、今日も働く!
posted by Koumei at 11:42| Comment(4) | TrackBack(0) | ちょっといい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月09日

私の選択

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本日は皆さんに感謝とお礼を申し上げます。いきなり、何のこと?と思われることでしょうが、昨日を以ってブログのランキングの不参加を決めました。

ブログを始めて100日余り、右も左も分からないまま記事を書き、ランキングにも参加し今日まできました。特にエディッタの読者の皆様には感謝しております。皆さんの応援が本当に励みになりました。
ある日以来、私のブログがオヤジランキングの1位となり昨日までその位置におりました。そして、突然の不参加に驚かれた方もいたし、何故なのって言われた方もいました。

不参加を決意したのは簡単にいいますと、“執着心”を自ら捨てようと思ったからです。いつからか今日は何位?ポイントはどれぐらい?と自分の中でランキングに“執着”しているようになりました。と言うことでランキング不参加にすれば“執着”はなくなるだろうと昨日を持って降りたわけです。

このブログの目標はできるだけ記事を更新すること。目標はこのブログを通して一人でも多くの方が思いや考え方を共有できるようブログも私も成長すること。ランクは枝葉なはずだったのに“執着”するようになった自分に“言い聞かせた”のかもしれない。変な欲望はいらないって・・・。

人間の欲望は良いものも悪いものも同居していますね。些細なことかもしれないが“何のため”を忘れた欲望は暴走する恐れがあるのではないだろうか。

話しは変わりますが、アメリカのサブプライム問題に端を発した金融危機は、世界経済に深刻な影響を与えており、先行きも不透明ですね。こうした金融危機の対策はもちろんだが、より根本的な問題は“欲望文明”そのものへの対処が必要だといわれている。

投資銀行ロバーツ・ミタニ・LLCの創業者・神谷氏は、金融にかかわる一人一人が「自己の利益だけを他の人の犠牲のもとに貪欲に追求するということを続ければ、金融システム自体がもたなくなる」と警鐘を鳴らす」と。また、「現代の我々に必要なのは、新たなルネサンス(人間復興)を呼び起こす人間一人ひとりの精神の力だと思われるのです」と述べていました。

このような経済問題に限らず、地球環境の問題から戦争や暴力、差別やモラルの荒廃まで、現代文明の諸問題は「他の人の犠牲のもとに貧欲に」生きようとする人間自身の精神の病を深く見つめなくては打開できないという。

経済的な価値(蔵の財)や技能・学識・才能などの価値(身の財)よりも、「心の財」を重視する志向でなければいけないのだろう。昨日の「江戸しぐさ」ではないが、他者への思いやりを多くの方が実践できるような“社会の空気”になるといいですね。

識者は「他者への思いやりとは平易な言葉ですが、この心を深化させ、行動に結びつけていくなかに、貧欲がもたらす悪の循環を断ち切り、人間の自己コントロールを回復させる鍵がある」と言う。

世界が求めている“自他共の幸福”を手に入れられるかどうかは我々一人ひとりにかかっているのではないか。貪り、愚か、怒りという心に巣食う根本の病に挑む“自己変革”の道こそ、欲望社会の変革に繋がるのではないだろうか。

ランキング以外は何も変わりありません。今後も私もブログも精進していきますので、何卒宜しくお願いします。
posted by Koumei at 19:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月08日

マネーよりマナーだね

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どこかの会社のコマーシャルに「マネーよりマナー」をというフレーズがありましたね。今日は「マナー」について書いていこう。

実は昨夜、町内の役員会があり、途中から“クレーマー”の婦人が来られましてあれやこれやのクレームのオンパレード。参加者は全員沈黙。何故って?「対話」にならないことが分かっているからなのでしょう。一方的に批判を述べて“それじゃ、私は帰ります”って。何しに来たの?改善策は話し合わないの?

新渡戸稲造が「武士道」という本の中でこのように言っています。“体裁を気にしておこなうのならば、礼儀とは浅ましい行為である、真の礼儀とは相手に対する思いやりの気持ちがあらわれたもの、礼儀の最高の姿は愛と変わりありません”と。

相手を大切に思う心・・・。相手に恥をかかせないこと。それはちょっとした表情や態度に、言葉はなくても無意識にでてきますよね。専門家の研究によると、意思を伝達する経路として、言葉によって伝わるのはわずか7%なんです。身振りや手振りが38%、顔の表情が55%にもなる。したがって話の内容よりも、顔の表情や印象のほうが相手の記憶に深く残るという訳です。

先の婦人はどうだろうか?“私は〜と思う”皆さんはどうですかという投げかけも無く、相手を攻める形相で話されたのでは“礼儀”を欠いているといわれても致し方ないのではないだろうか。

話し上手は聴き上手というじゃありませんか。とにかく、相手を理解しようと意識して耳を傾けることです。“聴く”という漢字に注目してみてください。耳だけではなく目や心を使って聴く。他にも“十四”の心をもつぐらいの思いで相手の話を聴くことだともいわれていますね。

参考までに聴き上手になるために何が必要か?

相手の話をさえぎらない、あいづちを打つ、もっと分かりたいと思うことについて質問をする、分かったところを伝え返すということができたら“聞き上手”といわれるんでしょう。

「江戸しぐさ」という言葉は知ってますか?マナー向上のためのコマーシャルで注目されだしたそうです。江戸時代中期の江戸は人口110万を越す大都市であった。日本全国から武士・商人・職人が集まっていた。もちろん言葉や育った文化も違う人々が狭いところにひしめきあっていたので当然、円滑なコミュニケーションをとるのは至難の業。「江戸しぐさ」はこのような背景のなかでお互いを尊び、少しでもストレスを少なくし、諍いを起こさないようにと町民のリーダーが率先して工夫を重ねるうちに出来上がった心づかいのルールなんです。

1 さりげない会釈で空気がなごむ
江戸の町では見ず知らずの人同士でもすれ違うときなど、視線を合わせてさりげなく目で挨拶をする習慣が定着していたという。当時の人々は信仰が生活の一部となっていたので人間はすべて仏の化身であるという意識があり、身分にかかわらず、仏さまに挨拶するように見知らぬ他人にも挨拶をしたというのです。目で挨拶をすると目元が優しくなごみますね。素敵な笑顔は表情をいきいきと明るくし、周りの人をも明るい気分にすることができる。

2 譲り合う優しい気持ち
狭い路地での「傘かしげ」や「肩引き」「蟹歩き」などは有名。すれ違う時に肩を斜めにしたり、横歩きしたり、ぶつかって傘を壊したり衣服を濡らさないよう譲り合うことで不愉快な思いをしないですむという。

3 うかつ謝り
人口過密都市であった江戸の町では祭りや縁日の雑踏で、ぶつかったり足を踏まれたりということは頻繁にあったんでしょうね。ぶつかったほうが「すみません」と謝るのは普通だと思いますが、江戸ではぶつけられたほうも「いえいえ、こちらこそうっかりしていました」と謝り返したといいます。横柄に「気を付けろ!バカヤロー!」と言われるより、ずっと優しい気分になれる。

他にも「江戸しぐさ」に学ぶことはあるのだが、3つだけ挙げてみた。

人にされたら“イヤ”なことは、人にしないこと。お互い譲り合い、謝り、許しあうことで心のゆとりが生まれ、温かみのある人付き合いも生まれ、優しい社会を築くことにつながるのでしょね。

江戸時代と大きく違うのは、他人を“仏の化身”のごとく見れないことではないかと思う。ここが現代の我々に欠けている重大なところではないだろうか。

物やお金も大事だが、心の豊かさを今一度、見直す時代に来てるのだろう。皆が心根のいい人になったら「平和」になるよ。きっと。

posted by Koumei at 13:12| Comment(3) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月07日

あなたはどちら派?

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劇作家の平田オリザ氏は、会話は親しい人同士のおしゃべりであり、対話は異なる価値観をすり合わせる行為と言っている。

そういわれれば、そうだなと納得した。日頃、自分はどうなのだろうかと考えるといかに“価値観が同じ人”との会話が多いのかに気付く。異なる価値観をもった人とは挨拶程度で、じっくり話をすることは少ないのかなと。

「忠臣蔵」で赤穂藩士らは松の廊下の事件までは「会話」だったのが、事件以降、藩が危機に陥り今後どうするかという段階になってから「対話」が始まったと言われている。

危機に陥らないことのほうがいいのだろうが、危機感もない、普段の生活の場で異なる意見を述べ合う時間、いや、気持ちが湧かないのだろう。「話すと感情的になるからやめとこう」なんて・・・。

これが個人の範疇ならばまだいいのだろうが、団体、国になるとやっかいですよね。「対話」がないから、相譲らない、諍い、戦争にと発展してしまうのかもしれない。元に戻って、個人と個人の「対話」こそ避けてはいけないのでしょうね。そういえば、我が家も最近「対話」が減っているな。

対話ということで、今、評判になっているのが「ブタがいた教室」という映画がある。実話に基づいて作られたのだが、1990年から大阪での話である。「ブタを飼おう! 大きくなったらみんなで食べよう!」。新しく小学校に赴任し、6年2組の担任となった熱血新米教師の星先生が、クラスの生徒28人の前でこう言い放った。ブタの飼育を通して、人間が食べることを考え、命を見直そうという試みのもと、スタートしたこの実践教育。

大量の餌やりや糞尿の始末など、様々な難問を乗り越え、子供たちは“Pちゃん”と名づけ、そのブタをクラスの一員としてかわいがり、200キロになるまで育て上げる。だが、彼らの卒業の日が迫ったとき、最大の問題にぶつかる。それは、一緒に卒業できないPちゃんをどうするかということ。親たちや学校を巻き込み、子供たちによる果てしない議論が始まる!という内容です。

そう、会話ではなく「対話」が始まるんです。

私は知りませんでしたが、当時、この経過を追ったドキュメンタリーがテレビで放映され、大きな反響を呼んだそうだ。監督をされた前田哲氏もこれに感動した一人だが、それだけに「あれ以上のものが作れるのか」と悩んだという。

東京国際映画祭で上映されたときから、子供たちの演技については“素の部分”を大事にしたと言っていた前田監督。「実際の撮影までの時間をどう過ごすかが重要でした。毎週土日はリハーサルをして、自分の思いを言葉にして表現してもらう練習をしました。みんなに、“こういうセリフを言ってごらん”と言えば、それなりに上手に言えるんです。でも僕自身、心から出たものしか心に届かないという確信があったので、実際に自分が思うことを自分の言葉で表現してもらうという練習を撮影まで散々やりました。実際の撮影は、もうライヴのようなもので、カメラを何台も用意して、後は星先生にお任せして、よーい、どん、でやってもらいました」と、その演出方法について語っておられた。

ライブのようなものでと言われていますが、子どもたちには台詞が白紙の脚本が渡されたそうです。作られた台詞を上手にいうのではなくその子供たちからでる、真剣な“心の言葉”こそが相手にも通じていくのだと思う。

子供たちは卒業が近づき、育てたブタの処遇をめぐり、「食べる」「かわいそう」と激論に。このシーンが圧巻だそうだ。それは台詞ではなく、自分たちで考えた“自分の言葉”でのもの。それが見事に「対話」になっているという。

会話より対話。自分と合わなければ“排他”ではなく対話を通して歩み寄れることもあるのではないか?意外なところで共通点も見い出せるかもしれない。怯まずに“対話”をしたいものだ。

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2008年11月06日

日本人の”個性観”

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アメリカではオバマ氏が黒人初の大統領に選ばれましたね。2004年の上院選で初当選した1回生議員で、上院議員から直接大統領に選出されたのは1960年のジョン・F・ケネディ以来なんですね。47歳という若さですから、おおいにリーダーシップを発揮してもらいたいものです。黒人初ですから違う意味で“個性”を前面に出して変革をしていただきたい。

アメリカらしいと思いません?日本だったら当選1回の国会議員が総理になるなんてことはありませんよね。「出る杭は打たれる」じゃないですが、一般的に日本は「個性的だといじめられる」、みんなと同じような格好をして、みんなと同じ物を持っていないと「あいつは違う、変だ」とかと言われる傾向性があると思うのは私一人じゃないと思いますが。

一方で「個性的」って、どんな人?と聞くと答えはさまざまでしょうが、「人と違った格好が堂々と出来る人」「面白い人。人と違うことをする人」「周りの人の意見に流されないで、自分らしさを知っている人」「個性とは、外見ではなく、その人の内面からにじみでてくるもの」等々、イメージとしては良いことだと考えているように思う。

しかし、現実は学校、職場でもこの「個性」を出すと異端児扱いをされることがあまりにも多くありませんか?だから、自分の個性を表にださず「みんなと同じように」してしまう。

大人も子どももここから考え方を改めなくてはいけない時代になっているのではないだろうか?しかし、国民性ゆえに根が深い。日本人は、昔から、画一性を重んじてきた。よい、悪いはともかく西洋とは
違う、個性観が全然、違う。個性を埋没させる日本の国民性が、時代の進歩を妨げたとも言われているぐらいですから。

個性を出せずにいたらどうなる?“自分を殺す”“我慢する”“病気になる”のではないだろうか。

ある識者は「個性とは、この世界で、その人しか持っていない宝の一品である。まったく同じ顔の人はいないように、人それぞれ個性が違う。自分にしかない宝をもっている。自分にしかできない使命をもっている。鳥には鳥の個性があり、犬には犬の個性があり、ライオンにはライオンの個性がある。同じように、それぞれの人に、それぞれの性格があり、それぞれの個性がある。個性があるから、人格はできる。個性があるから、その人でなくてはならない生き方があり、人生があり、使命がある。個性とは、他の人がもたない、自分なりの独特の特性であり、本能的ににじみ出てくるものでしょう」と。


前にも書きましたがスマップの歌の歌詞です。

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている
それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?
そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

「桜」には「桜」の、「梅」には「梅」のそれぞれの個性があり、役割があり、意味がある。それを、梅が桜に憧れて、桜になろうとしてもなれないじゃないですか。自分の花を咲かせることに一生懸命になればいいんですね。それが自身の幸福につながっていく。

目はどこに付いてます?外に向かって付いてますよね。だから、どうしても他人と比較して一喜一憂してしまうことが多い。しかし、そういう「他人志向」「他人本位」では自分を見失い、行き詰ってしまうことになる。

ならばどうしたらいいのか?「自分自身に生きる」が大事になってくる。

夏目漱石も「自分さがし」の旅をさまよったそうだ。彼はイギリス文学を志し、ロンドンへ留学するが、文明のギャップに苦しみ、劣等感に苦しみ、神経衰弱になる。悩みきった果てに彼は「文学とは何か。その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、自分を救う道はない。“他人本位”だからダメだったんだ。自分自身に生きよう」と。

さぁ、また、元気だして、“自分さがし”の旅を開始しましょうね。周りと共生しながら・・・。

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2008年11月05日

心の師匠はいますか?

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「やる気」が起きない、と言う人が増えている現代。では、「やる気」を出す方法はあるのか?――今、話題の脳科学者・茂木健一郎氏が、ある番組で、その秘訣を語っていた。

各界で成功を収めている達人、プロたちの言葉や振る舞いを通して思うことは、まず、はっきりとした「目標」を持つことだという。しかも逆境の中でやる気を保ち、栄冠を勝ち取っていくには、心に「師匠」がいることが重要である、と。

脳科学的には、目標となる師匠の良き振る舞いを見ていると、脳内の「ミラーニューロン」という神経細胞が反応し、弟子の自分も同じように振る舞うようになるという。それが知らず知らずのうちに、能力アップ(成長)にもつながると考えられている。

師弟の関係は、師匠が「針」であり、弟子は「糸」だと言われる。
師匠を持つことが、いかに大切で幸福であることか。師匠とは「闇の中の『灯火』のような、船が難破しないための『錨』のような存在」ともいわれている。

ここで投手3冠(最多勝利、防御率、勝率)で沢村賞を獲得し岩隈投手の心温まる話を紹介したい。彼が3冠を手にした時に心にあったのは「感謝」だけだったそうだ。それはブログをみてもそのように書かれている。誰に感謝しているのか?チームの仲間に、応援してくれたファンの方々に、家族に、そして“心の師匠”に!

彼は、東北楽天イーグルスに移籍したのは2005年です。その翌年ルールが変更され、投球ホームを変えざるをえなくなったという。今までがすべて台無しになった。

2006年はわずか1勝。

翌2007年は“エースは勝たなければ!”と焦りからか無理を重ね、
5勝という成績であった。シーズンが終わると、ひじを曲げただけでも痛みが走った。右腕の骨が曲がっていたそうだ。

“もう、ダメか”と絶望に押し潰されかけた。自分を見つめなおし、不甲斐ない自分を猛反省した。

2008年の今年、キャンプを終えて帰宅したときだった。4歳の娘が小さな手で渡したくれたものがあった。大きな色画用紙である。普通なら“パパの顔”が相場なんだろうが、「冬はかならず春となる」−手作りの絵本であった。開くと花びらの形にちぎった桃色の和紙がびっしり。娘は「桜の花だよ」。夏は緑、秋は茶、冬は雪の白・・・。

妻が微笑む。目頭が熱くなった。“支えられている!”その瞬間に気付いた。どれだけ多くの人が自分のために・・・・。
肩がすっと軽くなった。“応えたい!”思いが膨らんでいったという。

彼には“心の師匠”がいる。ある時、「勝ちたいのかどうなのか」と問われた。そして、不安を引きずる弱さを見透かすように、「不安など、放っておけ。強くなりなさい!」と激励を受ける。「頑張ります!」と返事をしながら、固く心に誓っていた。−必ず勝つ!と。その日は彼の誕生日でもあった。最高の激励を受けて以来、“どうすれば応えることができるか”と心が定まった。

それからは、ヒットを打たれても、ランナーを背負っても、投球の瞬間、不安がかき消えた。眼前の「一球」に集中できたという。今季の勝利は、全魂の「一球」の積み重ねであった。

彼は、北京五輪への出場が果たせず、涙を飲んだ。しかし、その時も“心の師匠”は「後になってみなければ、勝負は分からない」ともいわれていた。

あとは、皆さんご存知でしょうが、10月5日、201イニングで21勝をあげた。23年ぶりの記録を打ち立てたのである。

もちろん彼は、ウィニングボールを“心の師匠”に届けるのであった。
家族やさまざまな人に支えられての結果とは思うが、やはり、師匠と弟子の絆ほど強いものはないのだろう。数ある「生物」のなかでも「師匠」をもてるのは人間だけだそうだ。

あなたには“師匠”はいますか?

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2008年11月03日

宇宙即我

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11月に入りすでに3日目、今月始めての記事を書きます。先月末に我が家の長男の嫁の祖父が亡くなり、本日が通夜式なのですが私は仕事で焼香出来ないことが分かっていましたので一昨日、カミさんと長男、嫁、孫と線香をあげに東京の東村山まで行ってきました。

安置されている式場に着き、皆で線香をあげさせていただいた際に、嫁さんはおじいちゃん子だったらしく涙を流していました。普段の生活の中では人前で涙することはあまりありませんよね。その涙を見た孫は「ママ、どうして泣いてるの?」と。3歳5ヶ月の女の子には死んでしまったという言葉は話せるようになってはいるものの「死ぬ」ことの意味は勿論わかっていません。

私たち大人も「死」ということにあまりふれないように生活していることが多いのかもしれない。先日、私の顔をブログに出しましたが(3度)、一体、何をしてる人物なのか?敢えて公表する必要はないのだろうが簡単に触れておきたい。

私のブログを読んでいただくと分かるでしょうが、人生のドラマとか生き方とか生死に関する記事が多いと思いません?仕事として葬儀式場にしょっちゅう行っているのです。葬儀屋さんではありませんよ。某百貨店、○○屋の販売委託契約店として返礼品の納入、引き取り業務をしてるんです。したがって、いつも人の「死」と関わっている。
どのような顔をして、棺に収まっているのかも拝見させていただいております。人生の最終を迎えた“顔”、そして送り出す親族の表情等も。

そして亡くなる方の年齢もさまざま、人生を全うされた年齢の方や、これからなのにという年齢の方もおります。その方の寿命とはいえあまりにも早い旅立ち。「死んだらどうなるんだろう」「どこへ行くんだろう」と私の生活の一部として、他の方より「死」「死にざま」「生きざま」という問題が当たり前に思えるのです。したがって、そのような内容の記事が多くなるのでしょう。

人は亡くなると火葬され、骨壷の中に納められた後、墓に入ります。生きていたときの“こころ”は何処に行くのでしょう?肉体と一緒に朽ちてしまうのか?いや、“我”という生命は宇宙に帰ると言われている。場所は?私にも分からないが読んだ書物にそう書いてありました。「宇宙と自分」は同じだと。

大海(宇宙に例えて)に波がありますね。波しぶきが沢山あるじゃないですか、その波しぶきの1粒、1粒が私たちの人生と例えてみて、死んだら波が大海に収まるように溶け込んでいく。この大空にも目には見えないけれども沢山の電波がありますよね。見えないから無いんじゃないですよね。スイッチを入れ周波数を合わせれば受信できるように、宇宙に溶け込んだ個々の生命は“自分に合った”周波数をもった夫婦のもとに再び“誕生”するのだと。しかもその生命は“過去”からの延長であるとも言われている。

私たちの1日で言えば、夢をみながら寝て(死の状態)翌朝目が覚める(生の状態)。新しい1日の始まりであるが、昨日の自分の延長である。人により楽しい夢なのか、苦しい夢なのかはその人自身しか分からない。生きてるときには欺くことも、誤魔化すこともできるし、それによって自分がのし上がっていくことも出来るかもしれない。しかし、最後に棺に収まった時の姿は誤魔化すことができない。私も数多くの方を拝見しました。すやすや寝ているようで、今にも起きだしそうに収まっている方、お別れの際に親族でさえ顔をみせられないように収まっている方さまざまです。

こう考えると人生苦労しなければいけないのは「運命」ではなく「宿命」と捉え、自分の借金は“自分で返す”と決め前向きに生きたほうが価値的ではないだろうか。

親子や夫婦の問題で悩んでいる人も多いかもしれないが、永遠の生命からみたら、ほんの一瞬なんですって。どれぐらいかって?親子の縁は川があってこちらの岸からあちらの岸に行くぐらい。夫婦は街で出合って用をたすぐらい。長いようですがこれ程なんですから大らかになりましょうね。”自分の変革”が1番大事。

東村山の“おおじいちゃん”のご冥福を祈りつつ・・・

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posted by Koumei at 11:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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