いつもご訪問ありがとうございます
皆様のコメント・アドバイスが励みになっています
主役は日々変わりながら発信してまいります
今後も多くの皆様のお目にかかれることを願いつつ
===========================
皆様のコメント・アドバイスが励みになっています
主役は日々変わりながら発信してまいります
今後も多くの皆様のお目にかかれることを願いつつ
===========================
かつて国民的人気を誇った三波春夫という歌手が使った「お客様は神様です」というフレーズが大流行した時がありましたね。知らない方も多いかもしれない。これは「私の能力を最大限に引き出してくれるのがお客様。そのお客様に神の姿を見る」との意味が込められているらしい。お客様は神様ですとは、ファンを大事に思うところから出た言葉なんでしょうね。
ファンといえば、今回のアメリカ大統領選で黒人初の大統領に選出されたオバマ氏に関して、選挙の開票状況を伝えるラジオがある分析をしていた。オバマ氏には、「彼をホワイトハウスに絶対送ろう」という熱心なファン(オバマニアと呼ばれる)が、マケイン氏に比べて多かった。その差が勝敗を分けた一つの理由だと。
米NBCテレビの調査では、「熱烈に支持する」人の割合がマケイン氏の26%に対し、オバマ氏のそれは52%と倍に上っている。逆に消極的支持はマケイン氏が39%に比べオバマ氏は14%と圧倒的に少なかった。この調査を踏まえて東大教授の久保氏は「2年間の選挙戦で一度も揺るがなかった安定感に加え、“一つのアメリカ”を強調したオバマ氏にほれ込んだ有権者がいかに多かったか」と話されている。
味方、支持者を増やしていった・・・。そのような「空気」を創り出していけたのもオバマ氏本人の“人間力”に由るところも大きいのだろうが。
私たちも未来に向かい「何か」を変革しなければいけないと思いつつ、出来ないでいる。取り合えず「可も無く、不可も無く」他と足並みをそろえていけばいいやと。
大人だけではない、近年の若者の多くは空気を読みながら発言したり行動するという。とはいっても、空気を読むのは親密な仲間限定で、公共の場や自分と無関係な人に対しては、「空気」は関係ないらしい。
街に出て、インタビュー調査をすると、やはり、空気を気にしながら仲間たちとコミュニケーションを行っているという。しかし、その空気の実態は定かではないようで、「空気とは何ですか?」と聞くと多くの人は黙り込んでしまい、その後「雰囲気」や「流れ」と回答するそうだ。そして、「その雰囲気って何ですか?」とさらに聞いてみると、それ以上の回答が出る人は少ないのだとか。
確かに「雰囲気」や「流れ」しかないのだろう。一つは仲間たちとの常に求められる楽しい雰囲気であって、その楽しい場を壊さないようにお互い協力しているのである。悪いことではないのだが、“楽しい場作り”が仲間内だけというのが少し寂しい気もするのだが。
次に、その場にいる友人たちに同調するという面がある。周りからはみ出さない行動をとりつつ、共感が主体のコミュニケーションを行えることが“空気を読める人”になる。
よく、「空気読めよ!」って聞くじゃないですか?これは雰囲気、流れを壊すなと言われているんですよね。笑いながら言われれば、一面いわれた人に対しての救済処置、つまり、その場を和やかにする会話の潤滑油的役割をしますが、怖いのは、自己本位な発言で、その場の流れが自分の思い通りにならなかったことに対する「指摘や不満」を表すことではないだろうか。それでは「思っても口に出せない」というような「空気」のままになってしまう。これが仲間内だけじゃなく学校や職場で権力者に言われるとたちが悪いですよね。
いずれにしても、最低限のルールや友人への配慮はすべきなのだが、空気に支配されすぎてしまうと、自主的に何か動いてみたり、相手の意見に批判や否定もできず、個々の持つ独創的な発想や意見が出しにくくなることが問題ではないだろうか。
会話と対話は違うと先日ブログに書きましたが、会話はいいじゃないですか「空気」を読みながらでも。しかし、対話は「異なる価値観をすり合わせる行為」ですから、会話と対話を使い分けていきたいものだ。
対話の意味を今一度、考え直してはどうだろうか?「私はあなたと会話ではなく、対話をしたいのです」というのはいかがでしょうか?
【私の想いの最新記事】





価値観、考え方ひとそれぞれですので、自分が発した言葉がそのまま受け止められることはほとんどありません。人によって受け止め方が違います。
その差を埋めるためにも対話は必要だと思います。対話をすれば、雰囲気に流されることはないのではと思います。