2008年11月21日

誰が悪いのか

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今、若者の間で大麻を栽培し、吸っていることが問題になっています。先日、大麻の種をネット上で販売していた人が逮捕されましたね。この種の販売自体違法に扱われなければ問題はないそうなのだが、今回の逮捕は購入者のほとんどが大麻を吸うことが目的だったということなんです。こんなに堂々と販売されていたことに驚いたとともに、ある面、ネットでは欲しいものは何でも手に入ってしまうのでしょうかね。

私が活用している以上に今の若者はさまざまなネットワークをもっているんでしょう。もう一つ驚いたのは「学校裏サイト」です。名前だけは知っていましたが、このサイト約3万8千件もあるそうだ。

ネット上のいじめで韓国のスターが自殺をしてしまったことは前にも書きましたが、小中学校の子どもたちの間ではなんと、約4900件のネットいじめが確認されているんです。いじめる側も、いじめられる側の子どもたちもどんな大人になっていくのか非常に心配ではないか。

どうやってネットいじめをするのか?

@ 「無視しよう!」「顔がキモイ!」等の内容で掲示板などへの誹謗・中傷の書き込み。

A 掲示板などに、本人に無断で電話番号や写真などを掲載してしまう。

B 特定の子どもを誹謗・中傷するメールを不特定多数に送信(チェーンメール)。さらに複数の人に送るよう促す。

C メール発信者が第3者になりすましてメールを送りつけ(なりすましメール)、嫌がらせをする。

もし、私だったら@番ぐらいしかやり方は分からないが、今の子どもたちにとっては簡単に出来てしまうのだろう。これだけではない、こうしたプロフは単なる自己紹介サイトとしか思ってはいけないという。実は、子どもたちにとっては「出会い系」サイトなのだそうだ。

小中学生ではなく高校生だろうと思うのだが、中には裸の写真を載せている子もいて、プロフを介した援助交際も問題になっている。

今年の6月には携帯電話会社やパソコンメーカーに、子どもの有害サイトの閲覧を制限するフィルタリングサービスなどの提供を義務付けた「有害サイト規正法」が成立した。

問題は規制をしないよりしたほうがいいのだが、それだけで解決するのだろうか?「学校裏サイト」が4万件あることも問題だし、誹謗・中傷の書き込みは即、削除される方法を考えるとか・・・。

サイトが無理なら、子どもたちは知恵を使って別な方法を考えるのではないだろうか。メールだけでも出来るのだし。子どもたちの間では「3分以内ルール」というのがあるそうで、友人からのメールにすぐ返事しなければ人間関係がぎくしゃくしてしまうぐらい携帯に縛られているという。これだけでも、いじめは発生するでしょう。

子どもを食い物にする、大人の情報源も悪いが、子どもにモラルを教えていかなければ大変なことになると思いません?考えてみると、どうも大人が悪い。

今、子どもの気持ちが分からない家庭が増えているという。何故か?会話がないからだという。我が家には既に学生はいないのだが、会話は確かに減っている。特に、ブログを始めてからは・・・・。以前も書きましたが、パソコンに向かう時間帯は外にも出ない、人にも会わない、会話もない。この時間配分を何とかしなくてはいけないと感じている。

限られた時間にあれもしたい、これもしたいとなれば何かを犠牲にしなければならないのだろうが、やるべきことの優先順位は自分で決めていかなければならない。

優先順位といえば、”こんな自分に誰がした?”家庭環境や社会が悪いんじゃないかといわれる方も多いと思います。一面正しいかもしれないのだが、家庭を創るのも、社会的思想を育むのも”人間自身”の思想の反映じゃないのでしょうか?環境破壊も人間のエゴの結果じゃないですか。となると、”私の心””あなたの心””みんなの心”を優先して変革しなければ”方法論”では解決しないのでしょうね。

posted by Koumei at 11:53| Comment(51) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月18日

学ぶはまねることから

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評論家で鶴見俊輔という方がいるんです。86歳なんですが、18才の時にニューヨークの図書館でアルバイトをしていた時にヘレン・ケラーに会ったそうです。その時にたまたま座談会になって、彼女は参加者一人一人に「あなたはどういう人ですか?」と聞かれたそうです。傍に手でモールス信号みたいにして伝える通訳がいて、鶴見氏は「ハーバードの学生です」と答えた。

彼女は「私はハーバードの隣のラドクリフに行っていた。ラドクリフでたくさんのことを学んだ。その後、社会に出て、そこで学んだことをアンラーン(unlearn)した」と言われた。

アンラーンというのは、「学び解く」という意味だという。学校で学んだことをそのまま学術的に復唱するのはラーニング(learning)
で、アンラーンというのはそれを自由自在に使いこなすということなんですって。ところが日本の大学出はほとんどアンラーンしていない。そこが問題ではないだろうかと鶴見氏は言う。

苦労は買ってでもしろ!といわれますが、やはり、苦労したひとは“いい顔”してますよね?本人は意識してなくても、話す言葉に含蓄もあるし、味わいもある。“自分の顔”は自分の人生の歴史を物語るんでしょう。男は化粧しないから誤魔化しようがない。女性は化粧で雰囲気変わりますが“目”だけは男女ともに誤魔化せない。人生の“名優”を目指す我々としては“目力”は大事ですよね?

余談ですが、KYって「空気読めない」でいいんですよね?最近、どなたか漢字を間違えて読んだことがニュースになり、KY(漢字が読めない)の総理って言われてましたね。これじゃ分かってしまいましたね、誰のことか・・・。本人いわく「勘違いだよ」といっていましたが。間違えたことを問題視するより、彼がラーニングだけの人かアンラーニング人かが重要なんだと思う。頭がいい=人格者とは限らないのですからね。

「知識より知恵を出せ!」と言われますね。一つエピソードを紹介します。紙芝居作家の加太こうじ氏の話なんですが、彼は小学校しか出てないという。戦時中、彼の弟がアカということで捕まった。それで彼は必ず特高(特別高等警察)が自分のところにも来るだろうと思い、鏡の前で一生懸命練習を始める。何を練習したのかって?「マルクス、ロシア人」「マルクス、ロシア人」と口癖のように・・・。

ある日、案の定、特高が来て、「おい、この家にマルクスの本はないか?」と尋ねる。彼は間髪入れず、「マルクス?あのロシア人ですか?」と答えたという。特高は「マルクスがロシア人だって?ばかなこというな。マルクスはドイツ人だよ。こんなやつの家にあるわけがない」といって帰ってしまった。

加太氏はこのように「無知」を装い、「知恵」を使ったのである。彼は大学出の知恵とは違う知恵をたくさん持っていたという。

このような“知恵”を学びたいものですね。しかし、それは“味”というか“感性”というか身につけることは大変です。ある識者は「いかなる分野でも、最初は“ものまね”から入ることも多いでしょう。“まなぶ”とは“まねぶ”からきたという。初めから独創性が発揮される訳ではない。ピアノでも、鍵盤もちゃんと弾けないで自己流でやっても、それを独創とはいわない。初めは“まね”も“新たなる芸術”を引き出すための手段になる」といわれている。

“まね”から“独創”に至るまで何が大事なのだろうか?

識者は「目から入り、耳から入ったものだけでは“模倣”で終わる。心が大切です。自分自身の“心”で感じ“心”で表現していくことです。そのためには、血のにじむような努力と追求、精進がいる。それによって、だんだんと、自在に表現できるようになるのです」と。

安逸の中では“独創”は生まれないんですね。努力なんだ。レオナルド・ダ・ヴィンチは手記に「可哀想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」と書いている。また、また、ベートーヴェンは、死ぬ間際の病床にあっても、ヘンデルの作品集を勉強しようとして、「私は、まだまだ、この人から学ばなければならない」と言っていたという。一流の人、偉大な人は謙虚に、生涯“学ぶ心”を持っていたのですね。

私も見て、聞いて、読んだものを記事を通してお伝えしている。人の言葉も多々借りながら・・・。まだまだ、独創性のある記事とはいえない。今後もいろいろ勉強しながら、“自分力”を出せるよう精進し、“心の感性”を磨かなければいけない。

今後とも、読んでいただいた感想、コメント宜しくお願いします。
posted by Koumei at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月17日

廃棄食品を考える

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このブログは横浜から発信しております。先日、ニュース番組で見たのですが、私の住む隣の区に格安の定食屋があることを紹介しておりました。トン汁定食やアジフライ定食などが300円。安いでしょ?一品ものはもっと安い。市内にそんな安い定食屋があるのか?と見入っていると、そこは知る人ぞ知る通称「西部の町」の中にあるんです。

この「西部の町」は仕事のない人、その日暮らしの人たちが住んでいる特殊地域をいいます。もちろんその中は簡易宿泊所がほとんどである。
そのような低所得者用に安く食べ物を提供しようと、この定食屋は存在する。週に7回以上という“マイ食堂”のように利用する客も多いとか。

いくら安く提供するにしても、仕入れはどうするのかと思ったら、コンビニあるじゃないですか。そこに置いてある弁当。賞味期限ありますよね。買う時にいつの何時までって明記してありますが、2〜4時間前に廃棄処分にするそうです(番組ではローソンでしたが)。その廃棄品を定食屋の店長は仕入れいや、ただで貰い受けるんです。しかも、弁当だけではないんです。調理された材料も出る時がある。きんぴらとかマカロニサラダといったような物まで、無料なんです。

賞味期限まで2〜4時間の間に調理するものは調理し、温めてOKなものは温めて出す。本来、廃棄される食料がこのように再利用され安くお客に提供でき、お客は安くて助かるといいことずくめではないだろうか?しかも、その分のゴミが減る、環境にもいい。

スーパーは時間サービスとかで賞味期限が近くなるにつけ半額とかで食品を売るじゃないですか?でも、コンビニはその2〜4時間の猶予があるときにどうして半額セールってできないのだろうか?多分食品衛生法とかいう法律で決められているんでしょうね。

そうであるならば、先の定食屋だけではなく、いろいろ提携し他のところでも再利用し、安く提供するというのは庶民も助かるじゃないですか。番組でも言っていましたが、「廃棄する弁当類を瞬間冷凍して難民に届けるとか出来ないのだろうか?」と。

日本では毎日約2000万人分の食料が、賞味期限切れなどの理由で棄てられているといいます。これが減らせるじゃないですか。

実は、私は自分本位、自分勝手なんだと思います。何故かって?我が家に牛乳が2本あったとします。賞味期限古いほうから飲みます。期限が切れて捨てるのはもったいないじゃないですか?でも、スーパーやコンビニにいくと手前(賞味期限が短い)を避けて奥から取ってくる。売れ残ったら廃棄され、ゴミになってしまうことは考えずに。皆がそうすれば、当然手前は売れ残りますからね。

エコは出来ることから始めようと前にも言いましたが、例えば、コンビニやスーパーで購入する際、古い食品から購入することが“エゴ”ではなく“エコ”になるんですね。ある新聞広告のコンテストで「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」というのが入賞しましたそうです。

飽食や贅沢を見直すことで、食料運送や消極処分時の環境負担を減らすことができます。ムダを減らして、CO2排出を減らしましょうね。

最後に、難民に届けられたらどんなにか素晴らしいことか。以前、ジャンボが墜落して乗客が全員死亡と報道されたら大変なニュースになるが30分に500人が餓死してもニュースにならないという趣旨のことを書きましたが、今や、30分では856人もの子どもたちが亡くなっているという。一分に28.5人ですよ。

衛生法も大事だが、ゴミにするなら国内外で助かる人のために何か方法を考えて貰いたいものだと思いませんか?
posted by Koumei at 14:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月16日

楽観主義でいこう

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現代社会は、悲観主義や冷笑主義(シニシズム)に覆われているという。頭では、明るく前向きに生きる姿勢が大事なんだと分かっているのだが、なかなかそれが出来ないでいる。楽観的であることを蔑視する人もいる。何故、そうした風潮が広まったのか?楽観的に生きるとは、実際どのような意味なんだろう?

現代人はなぜ、物事を悲観的に、冷笑的にとらえてしまうのか?精神科医の先生は「一つの要因として、自分に自信が持てないことが大きいと考えられます。家族や友人に支えられているという信頼感がないのです。そこから、不安や不信の中に沈み込んでいく」という。

また、人間関係の希薄化も大きな要因だともいう。10年ほど前から、ひきこもりの人たちの診察が増えたそうだが、その人たちの中には、バーチャル(仮想的)な世界にハマることで、対人関係の中で癒されたり、傷ついたりしながら成長していく、という機会が減っている人も多いらしい。

これは、若者だけではなく大人でも言えるのではないだろうか?最近、一人住まいの人って結構いますよね。ある方が言ってましたが、「俺は、あなたと違って家族がいないんで、テレビと会話してるんだ」って。孤独なんだと・・・。テレビが友達とはまさに、バーチャルの世界に入り込んでいるのでしょうが、現実、どうしようもないのかも知れない。

どう思いますか?核家族になり、今後はもっと一人で生活を余儀なくされる方は増えるのでしょう。しかし、私は思うのですが、家族がいても“孤独”を味わっている人もいるし、逆に一人暮らしでも人生を謳歌してる人もいるじゃないですか(特に、女性が多いのかも)。この、分岐点はどこにあるのだろうか?

当然、個人差はあるのでしょうが、生来、女性のほうが芯は強いのかもしれない。例えば、連れ合いに先立たれた場合ですが、“奥さん”に先立たれた後の男性は落ち込む人が多く、死亡するまでの年数が女性より短いと言われていますね。生前、ご主人がいないと何も出来なかったという婦人が、一周忌、三回忌と時を経ることに元気で生活されている姿は、私も数多く見させていただいてます。

こうしてみると、一見、“強そう”な男性も自分に自信がない人が多いのかな?(これで、男性の敵を増やしてしまうのか)男性の場合、ある期間、仕事中心で生きることが多い。1歩、外に出ると人間関係の狭間にいる。「あまり、率直に意見を言えば、同僚や上司からの印象が悪くなる」「自分の考えた意見は、相手には正当に受け止めてもらえないのではないか」などと、心配や不安が先にたってしまい、仲間であるはずの人が否定的な存在に感じてしまう。そうなると、必然的に人間関係も表層的で薄っぺらいものにならざるを得ない。そして、定年後も変わることが出来ず、“人の輪”に入れない、コミュニケーションが出来ないということも言えるのではないだろうか?

心配なのは、若者だけではなく我々世代なのかもしれない。

家から1歩出てみよう、人と会って話をしてみようから始めてもいいのだろう。人と会って語り合う中で、安心したり、再び落胆したりとあるかもしれない。しかし、その繰り返しの中でこそ“己を知る”ことも“自身をつくる”ことにもなるのだから。

バーチャルな世界ではなく、生身の関係の中でこそ、頭で考えることと、気持ちの面での調和が図られ、自分らしい理想や目標も、さらには“自分自身”を理解することができ、周囲の環境に振り回される心配はなくなるという。そして、現実社会や他者との中で、自分を位置づけることができるようになる。

楽観主義とは“何とかなるから楽しくいこう”と誤解されている方もいるようですが、そうではなく何があっても悲観に陥ることなく前向きに捉え、着実に前に進むことが楽観的な生き方なんですから。

ということは、このブログもバーチャルになるのだろうか?読んだら感想をお願いしますね。

「そうだ、京都に行こう!」じゃないですが、そうだ、人と会おう!語り合おう!これも大事なんですね。
posted by Koumei at 12:24| Comment(1) | TrackBack(1) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

ネットワークも使い方次第

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今日は山口県下関市の山奥に住む、ユニークな若者の話をお伝えしたい。彼は下関の高校を卒業後、18才の時に東京の代々木アニメーション学園に入学し、デッサンやフォトショップ・マック等のソフトの扱い方を勉強した。卒業後、就職に失敗し、趣味のゲーム制作をしながらぶらぶらとその日暮らしをしていた。いわゆるフリーターであった。そんな時に、自分の母親が癌であることを知り、地元の下関の山奥に戻り、母親の看病をしてあげるのだが、母は他界してしまう。実家は住む人もいなくなり、生まれた家がどんどん寂れて汚れていくのが嫌だと思った彼は、そこに住むことを決心したのであった。

しかし、場所は下関の山奥である。職は見つかるだろうか?どうやって生計を立てればいいんだと途方にくれた。ところが、いざ就職をし始めると、予想に反し、彼を採用したいという中小企業が山のように現れたという。何故なのか?

彼のようにパソコンのスキルを持った人が、山奥にはいなかったからだという。彼は、これからは健康がテーマになるだろうと思い、最終的に健康食品を売る会社に入社する。会社としても、彼に来てもらうために、それまでなかったウェブ部門を立ち上げ、そこのリーダーに抜擢。給与面でも特別待遇。同時に、就職する条件として、会社に副業も認めさせ、面接した会社のウェブ制作も個人の仕事として行い、副収入さえ稼ぐ立場を手に入れたのである。

正社員になること自体が厳しい現実の中で彼は「正社員プラス副収入」を手に入れたことは現代ビジネスマン多くが夢見る待遇ではないだろうか。この理想とも言えるワーキングスタイルを、“下関の山奥”で手に入れたのだ。

彼いわく「東京だとパソコンができる人なんてたくさんいますから、なかなか就職できなかったんです。でも、山口だとパソコンのスキルがあるだけで引く手あまたなんです。生活費や物価も東京と比べると格段に安いし、特別待遇で就職できたうえに副収入も入り、満足いく収入で好きな仕事ができています」と語っている。

これは、単に彼にパソコンのスキルがあったからだけではないという。東京にいる時も山口の友達と連絡を取り続けていたので、いろいろな会社とネットワークが出来ていたことと、それを維持しながら、山口に戻ってからも更に拡大し、有効活用したことが大きな要因であったことも見逃せない。まさに、偏差値の上下を超え、フリーターから勝ち組に転身したいい例ではないでしょうか。

さらに驚くことがまだあるんです。彼は初恋の元同級生と結婚したのです。勝ち組になり、初恋の人と結婚できたなんていいな〜。じゃないんです。

その奥さんも自宅で仕事をしている。「チャット・レディー」という仕事で、要は出会い系サイトのようなものです。客は現金でポイントを購入する。5千円で50ポイント購入でき、50分間気に入った女性とチャットできるという。女性側はウェブ・カメラで自分の姿を写しながら話さなければならないようですが、男性客からすると、キャバクラのように直接会う緊張感もないし、ぼったくられる心配もないし、自宅で気ままな格好で女性と話すことができるので、このサービスの人気は上がっているという。

女性と話すのも機会越しというのはどうも昭和生まれの私としては抵抗があるというか、顔を見ながら話すのが“当たり前”じゃないのという考え方が強いですね。時代遅れなんですかね、私が。

余談はさておいて、この奥さん、今では一日にたった1、2時間を週2、3回チャット・レディーになるだけで、1ヶ月に10万近く稼げると言う。時に必死で口説いてくる客もいるようですが、それから逃れるのも面白いそうで、夫婦の楽しい共通話題にもなっているそうだ。

何故、奥さんのこともお伝えしたのか?このことも彼は山奥にいながら、秋葉原のオタク友達とネットワークでつながっているがゆえに、彼らから情報を得、奥さんにさせても安心であること、奥さんの暇な時間もつぶせること、家庭の稼ぎにも貢献させられることを知っていたから。このようにネットワークを拡大し、有効利用する若者は都会だけではなく山奥にもいることは一種の驚きであるし、これからは地域の格差もなくなるのだろう。特にネットの世界に関しては。

我々大人もネットや携帯を悪者にし、騒ぐだけではいけないのだろう。私たちも有効利用し、ネットーワークを作り、多くの若者とも交流を繰り広げ、お互い悪いものは排除していくことも大事かと思う。悪用さえしなければいいネットワークも出来るだろう。

ビジネスにしても、日記にしても顔を出し、氏名を明かしてもいいのじゃないかと思うのですが・・・。会社員は副業がばれたらダメなんですね。顔も名前も分からないからといって“ウソ”だけはつかないで欲しい。いいネットワークにしていきましょうね。
posted by Koumei at 15:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

ネットワークの時代

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今や小学生から携帯電話を持っている時代、中・高校生はほとんどなのだろうか。若者のネットワークは我々の想像を超えて、携帯のメルアドやSNSの普及・交換によって、意図せずに巨大なネットワークを持つようになったといわれる。

そのネットワークは、大人が考えるほど浅く表面的なものではなく、意外と継続性を持っていて、かつての村社会が持っていた陰湿さ、いじめ、過剰な気遣い(悪い意味での)など、「人間関係の息苦しさ」を引き起こしている。

情報量の多さ、更新速度の速さゆえに、未体験の出来事をあたかも自分が経験したことがあるように感じさせてしまう「既視感」(きしかん)も生み出した。例えば、ハワイに行ったことがないのに、ハワイに行った友達のブログをみて、自分も行った気になってしまう、などといったことだそうだ。本は沢山読みなさいといわれますね。読むことによりさまざまなことが学べる。ネットも使い方ではないかと感じる。ただ、私もそうだが、出かける回数も少なくなり、行動範囲も狭まっているのではないかと思う。

昨夜、テレビでネットに関しての番組がありましたが、ネットにはいい面も悪い面もありますね。韓国ではスターがブログに誹謗・中傷が原因で自殺するという事も起こっている。しかも、投稿者は実名なんですって、韓国では。大人も子どもも同じなんですね。嫌がらせやいじめの心は。残念ながら・・・。

就職をするにも今ではパソコンができなければいけないぐらいの状況ですよね。世の中で言われる「格差」といえば、これまでは「経済格差」のことでした。しかし、今後は「ネットワーク格差」によって、人生の勝ち負けが論じられていく時代になっていくのではないかと言われている。特に多くの若者はネットワークを有効活用している。

ネット使用により行動範囲が狭まってしまった若者が増えているのも現実だが、平気で1000人規模を集客したイベントを開いている子が結構いるんだとか。内容はクラブイベントであったり、ダンスイベントであったり、昨今流行の環境問題をテーマにしたイベントだったりとさまざまだという。

私たちの時代では考えられませんよね。高校時代に1000人規模でイベントをするなんて。いかに今の若者のネットワークが広いかという証左なんだろう。

それと、私たちの時代は似たもの同士で遊んでませんでしたか?ガキ大将はガキ大将同士。がり勉はがり勉同士みたいに。それと、オタクは私たちの後に現れたと思うのですが、このオタクもイメージ的にはあまり洋服にこだわらないという感じですよね?いわゆるダサイ格好をしてるという。ところが最近では普通の人と遜色の無い洋服、いや、それ以上にお洒落な格好をする若者が増えているそうだ。テレビでもオタクのイメージ(ダサイ)の人を探すのは大変らしいですから。

がり勉の人って以前、ぱっと見てわかりませんでした?このがり勉君も超受験校の卒業アルバムをここ数年をみると髪型等が、急激にお洒落になっているんだとか。私服もお洒落で、眉毛は整えていて細く、髪の毛にはシャギーが入っていたりと、ジャニーズ系が結構いるらしい。

オタクもがり勉も何故変わっていったのか?やはり、ネットワークが巨大化したので、オタクとギャル男もつながるし、がり勉とジャニーズ系もつながっていて、意図せずにお互い情報交換せざるを得なくなっていることが大きな要因ではないだろうか。

私もこのブログを通してさまざまな方とコメントさせていただいてますが、ほとんど顔も年齢も知りません。もしかしたら中には10代の方もいるかもしれませんね。私の世代ではパソコンを流暢に扱う人は周りにいませんが、10代は身近にも情報はあるし、ネットワークを我々より有効に使いビジネスチャンスを拡げていることは現実としてかなり進んでいるのかもしれない。

あと一つ、ビジネスといえばどうしても都会が有利と考えますよね。しかしインターネットを活用したビジネスは山奥にいても全世界に通じていく、これもネットワークの使い方次第で新しい展開が繰り広げられる時代なんでしょうね。

最先端とまではいけませんが、オタクにならず上手にネットを活用していきたいものです。ブログを始めてからいろいろ励ましやコメントをいただき感謝しております。あなたには。そう、いつも読んでいただいているあなたには本当に感謝です。今後も宜しくお願いします。


P1000338.JPG今日は孫娘が3歳6ヶ月なので、七五三のお祝いをしてきました。先ほどデジカメで撮りました(疲れからか笑顔がありませんね(笑。孫の本邦初公開ですよ。どうです?かわいいでしょ?そりゃ、孫ですから無条件でかわいいですよね。
posted by Koumei at 20:17| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

空気は読むのか創るのか?

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かつて国民的人気を誇った三波春夫という歌手が使った「お客様は神様です」というフレーズが大流行した時がありましたね。知らない方も多いかもしれない。これは「私の能力を最大限に引き出してくれるのがお客様。そのお客様に神の姿を見る」との意味が込められているらしい。お客様は神様ですとは、ファンを大事に思うところから出た言葉なんでしょうね。

ファンといえば、今回のアメリカ大統領選で黒人初の大統領に選出されたオバマ氏に関して、選挙の開票状況を伝えるラジオがある分析をしていた。オバマ氏には、「彼をホワイトハウスに絶対送ろう」という熱心なファン(オバマニアと呼ばれる)が、マケイン氏に比べて多かった。その差が勝敗を分けた一つの理由だと。

米NBCテレビの調査では、「熱烈に支持する」人の割合がマケイン氏の26%に対し、オバマ氏のそれは52%と倍に上っている。逆に消極的支持はマケイン氏が39%に比べオバマ氏は14%と圧倒的に少なかった。この調査を踏まえて東大教授の久保氏は「2年間の選挙戦で一度も揺るがなかった安定感に加え、“一つのアメリカ”を強調したオバマ氏にほれ込んだ有権者がいかに多かったか」と話されている。

味方、支持者を増やしていった・・・。そのような「空気」を創り出していけたのもオバマ氏本人の“人間力”に由るところも大きいのだろうが。

私たちも未来に向かい「何か」を変革しなければいけないと思いつつ、出来ないでいる。取り合えず「可も無く、不可も無く」他と足並みをそろえていけばいいやと。

大人だけではない、近年の若者の多くは空気を読みながら発言したり行動するという。とはいっても、空気を読むのは親密な仲間限定で、公共の場や自分と無関係な人に対しては、「空気」は関係ないらしい。

街に出て、インタビュー調査をすると、やはり、空気を気にしながら仲間たちとコミュニケーションを行っているという。しかし、その空気の実態は定かではないようで、「空気とは何ですか?」と聞くと多くの人は黙り込んでしまい、その後「雰囲気」や「流れ」と回答するそうだ。そして、「その雰囲気って何ですか?」とさらに聞いてみると、それ以上の回答が出る人は少ないのだとか。

確かに「雰囲気」や「流れ」しかないのだろう。一つは仲間たちとの常に求められる楽しい雰囲気であって、その楽しい場を壊さないようにお互い協力しているのである。悪いことではないのだが、“楽しい場作り”が仲間内だけというのが少し寂しい気もするのだが。

次に、その場にいる友人たちに同調するという面がある。周りからはみ出さない行動をとりつつ、共感が主体のコミュニケーションを行えることが“空気を読める人”になる。

よく、「空気読めよ!」って聞くじゃないですか?これは雰囲気、流れを壊すなと言われているんですよね。笑いながら言われれば、一面いわれた人に対しての救済処置、つまり、その場を和やかにする会話の潤滑油的役割をしますが、怖いのは、自己本位な発言で、その場の流れが自分の思い通りにならなかったことに対する「指摘や不満」を表すことではないだろうか。それでは「思っても口に出せない」というような「空気」のままになってしまう。これが仲間内だけじゃなく学校や職場で権力者に言われるとたちが悪いですよね。

いずれにしても、最低限のルールや友人への配慮はすべきなのだが、空気に支配されすぎてしまうと、自主的に何か動いてみたり、相手の意見に批判や否定もできず、個々の持つ独創的な発想や意見が出しにくくなることが問題ではないだろうか。

会話と対話は違うと先日ブログに書きましたが、会話はいいじゃないですか「空気」を読みながらでも。しかし、対話は「異なる価値観をすり合わせる行為」ですから、会話と対話を使い分けていきたいものだ。

対話の意味を今一度、考え直してはどうだろうか?「私はあなたと会話ではなく、対話をしたいのです」というのはいかがでしょうか?
posted by Koumei at 10:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月09日

私の選択

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本日は皆さんに感謝とお礼を申し上げます。いきなり、何のこと?と思われることでしょうが、昨日を以ってブログのランキングの不参加を決めました。

ブログを始めて100日余り、右も左も分からないまま記事を書き、ランキングにも参加し今日まできました。特にエディッタの読者の皆様には感謝しております。皆さんの応援が本当に励みになりました。
ある日以来、私のブログがオヤジランキングの1位となり昨日までその位置におりました。そして、突然の不参加に驚かれた方もいたし、何故なのって言われた方もいました。

不参加を決意したのは簡単にいいますと、“執着心”を自ら捨てようと思ったからです。いつからか今日は何位?ポイントはどれぐらい?と自分の中でランキングに“執着”しているようになりました。と言うことでランキング不参加にすれば“執着”はなくなるだろうと昨日を持って降りたわけです。

このブログの目標はできるだけ記事を更新すること。目標はこのブログを通して一人でも多くの方が思いや考え方を共有できるようブログも私も成長すること。ランクは枝葉なはずだったのに“執着”するようになった自分に“言い聞かせた”のかもしれない。変な欲望はいらないって・・・。

人間の欲望は良いものも悪いものも同居していますね。些細なことかもしれないが“何のため”を忘れた欲望は暴走する恐れがあるのではないだろうか。

話しは変わりますが、アメリカのサブプライム問題に端を発した金融危機は、世界経済に深刻な影響を与えており、先行きも不透明ですね。こうした金融危機の対策はもちろんだが、より根本的な問題は“欲望文明”そのものへの対処が必要だといわれている。

投資銀行ロバーツ・ミタニ・LLCの創業者・神谷氏は、金融にかかわる一人一人が「自己の利益だけを他の人の犠牲のもとに貪欲に追求するということを続ければ、金融システム自体がもたなくなる」と警鐘を鳴らす」と。また、「現代の我々に必要なのは、新たなルネサンス(人間復興)を呼び起こす人間一人ひとりの精神の力だと思われるのです」と述べていました。

このような経済問題に限らず、地球環境の問題から戦争や暴力、差別やモラルの荒廃まで、現代文明の諸問題は「他の人の犠牲のもとに貧欲に」生きようとする人間自身の精神の病を深く見つめなくては打開できないという。

経済的な価値(蔵の財)や技能・学識・才能などの価値(身の財)よりも、「心の財」を重視する志向でなければいけないのだろう。昨日の「江戸しぐさ」ではないが、他者への思いやりを多くの方が実践できるような“社会の空気”になるといいですね。

識者は「他者への思いやりとは平易な言葉ですが、この心を深化させ、行動に結びつけていくなかに、貧欲がもたらす悪の循環を断ち切り、人間の自己コントロールを回復させる鍵がある」と言う。

世界が求めている“自他共の幸福”を手に入れられるかどうかは我々一人ひとりにかかっているのではないか。貪り、愚か、怒りという心に巣食う根本の病に挑む“自己変革”の道こそ、欲望社会の変革に繋がるのではないだろうか。

ランキング以外は何も変わりありません。今後も私もブログも精進していきますので、何卒宜しくお願いします。
posted by Koumei at 19:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月08日

マネーよりマナーだね

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どこかの会社のコマーシャルに「マネーよりマナー」をというフレーズがありましたね。今日は「マナー」について書いていこう。

実は昨夜、町内の役員会があり、途中から“クレーマー”の婦人が来られましてあれやこれやのクレームのオンパレード。参加者は全員沈黙。何故って?「対話」にならないことが分かっているからなのでしょう。一方的に批判を述べて“それじゃ、私は帰ります”って。何しに来たの?改善策は話し合わないの?

新渡戸稲造が「武士道」という本の中でこのように言っています。“体裁を気にしておこなうのならば、礼儀とは浅ましい行為である、真の礼儀とは相手に対する思いやりの気持ちがあらわれたもの、礼儀の最高の姿は愛と変わりありません”と。

相手を大切に思う心・・・。相手に恥をかかせないこと。それはちょっとした表情や態度に、言葉はなくても無意識にでてきますよね。専門家の研究によると、意思を伝達する経路として、言葉によって伝わるのはわずか7%なんです。身振りや手振りが38%、顔の表情が55%にもなる。したがって話の内容よりも、顔の表情や印象のほうが相手の記憶に深く残るという訳です。

先の婦人はどうだろうか?“私は〜と思う”皆さんはどうですかという投げかけも無く、相手を攻める形相で話されたのでは“礼儀”を欠いているといわれても致し方ないのではないだろうか。

話し上手は聴き上手というじゃありませんか。とにかく、相手を理解しようと意識して耳を傾けることです。“聴く”という漢字に注目してみてください。耳だけではなく目や心を使って聴く。他にも“十四”の心をもつぐらいの思いで相手の話を聴くことだともいわれていますね。

参考までに聴き上手になるために何が必要か?

相手の話をさえぎらない、あいづちを打つ、もっと分かりたいと思うことについて質問をする、分かったところを伝え返すということができたら“聞き上手”といわれるんでしょう。

「江戸しぐさ」という言葉は知ってますか?マナー向上のためのコマーシャルで注目されだしたそうです。江戸時代中期の江戸は人口110万を越す大都市であった。日本全国から武士・商人・職人が集まっていた。もちろん言葉や育った文化も違う人々が狭いところにひしめきあっていたので当然、円滑なコミュニケーションをとるのは至難の業。「江戸しぐさ」はこのような背景のなかでお互いを尊び、少しでもストレスを少なくし、諍いを起こさないようにと町民のリーダーが率先して工夫を重ねるうちに出来上がった心づかいのルールなんです。

1 さりげない会釈で空気がなごむ
江戸の町では見ず知らずの人同士でもすれ違うときなど、視線を合わせてさりげなく目で挨拶をする習慣が定着していたという。当時の人々は信仰が生活の一部となっていたので人間はすべて仏の化身であるという意識があり、身分にかかわらず、仏さまに挨拶するように見知らぬ他人にも挨拶をしたというのです。目で挨拶をすると目元が優しくなごみますね。素敵な笑顔は表情をいきいきと明るくし、周りの人をも明るい気分にすることができる。

2 譲り合う優しい気持ち
狭い路地での「傘かしげ」や「肩引き」「蟹歩き」などは有名。すれ違う時に肩を斜めにしたり、横歩きしたり、ぶつかって傘を壊したり衣服を濡らさないよう譲り合うことで不愉快な思いをしないですむという。

3 うかつ謝り
人口過密都市であった江戸の町では祭りや縁日の雑踏で、ぶつかったり足を踏まれたりということは頻繁にあったんでしょうね。ぶつかったほうが「すみません」と謝るのは普通だと思いますが、江戸ではぶつけられたほうも「いえいえ、こちらこそうっかりしていました」と謝り返したといいます。横柄に「気を付けろ!バカヤロー!」と言われるより、ずっと優しい気分になれる。

他にも「江戸しぐさ」に学ぶことはあるのだが、3つだけ挙げてみた。

人にされたら“イヤ”なことは、人にしないこと。お互い譲り合い、謝り、許しあうことで心のゆとりが生まれ、温かみのある人付き合いも生まれ、優しい社会を築くことにつながるのでしょね。

江戸時代と大きく違うのは、他人を“仏の化身”のごとく見れないことではないかと思う。ここが現代の我々に欠けている重大なところではないだろうか。

物やお金も大事だが、心の豊かさを今一度、見直す時代に来てるのだろう。皆が心根のいい人になったら「平和」になるよ。きっと。

posted by Koumei at 13:12| Comment(3) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月29日

読書週間ですよ

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読書週間がスタートしました。初日の27日は「文字・活字文化の日」として、多くの人々に読書の楽しみを伝えるイベントなどが、各地で始まっているそうだ。

最近の調査では、1ヶ月で本を「1冊も読まなかった」人が半数を超えたんですって。20年前は4割未満。日本人の活字離れが急速に進んでいることがわかるデータですよね。うちの子供もそうですが、携帯があれば事足りてるのでしょうか?ネットで検索すれば何でも見れるのでしょう。私もブログをする前は携帯結構使っていましたから。

どこかのコマーシャルで「本は地球の裏側に旅することが出来る」というのがありましたが、読書には心を耕す力がある。ある著者が、読書は「自己の形成」であり、思考力・判断力・価値観を養うと語っていた。書物で出あった名文や名場面はすべて血肉として自身を荘厳していくと言われています。

どんな書物を読むのかは自由ですが、低俗な雑誌などでは違う部分の「自己の形成」になるのでご注意を。

「読書をしなければ、創造力もなくなり、動物性になってしまう恐れがある。良き本を読むことは、良き人生を創り、良き人生を生きていくことである。これは、世界共通の法則であろう」と識者は語っています。

確かに、今はインターネットで情報は簡単に入手できるが、読書で得られる精神の糧とはかなりの差があるのでしょうね。とは言っても、引き続きネットで私のブログは見て欲しいものだ。

読書とは少し違うが、古来、時代変革の陰には書物・書簡などの優れた文字の力があったという。アメリカ独立革命の精神的支柱となったのは、トマス・ペインの著した1冊のパンフレットであったのである。フィリピン独立の英雄ホセ・リサールは、数多くの手紙を認め、独立運動に立つ民衆を鼓舞したという。

楽しいことを求めるのは結構でしょうが、自己啓発になるものにも少しは目を向けてみることもいいのではないでしょうか?

話は変わりますね。昨日のブログに3ヶ月過ぎたことをお伝えしましたところ、“おめでとう、次は1年を目指しましょう”と激励をいただきました。ブログのテンプレートも変えてみて気持ちも新たに取り組んでいきます。3ヶ月、長かったような短かったような・・
7月末から始めたというのは、私の仕事がどちらかというと夏は多少落ち着いている時期でもあったからで、これからの寒い時期は記事が書けるか心配ではあるのです。でも、1年という指標を頂きましたので努力を惜しまず頑張りたい。

一つのことをやり続ける。次元は違いますが、「研究は、やり始めたらやり遂げることが大事」とノーベル化学賞の受賞が決まった下村博士は、答えを得るまで徹して研究を続けられたそうである。やはり、それほどまでの情熱が事を成就させるのかと感銘を受けた。

また、現役最年長の有吉道夫九段は70歳を過ぎてなお、若手棋士と指し続けた。故・原田泰夫九段は引退後も毎日、棋譜を並べて研究したという。飽くなき向上心で、将棋の道を歩み続ける二人の真摯な姿勢に胸を打たれたと、谷川九段は語っておられる。

真理を究める。一剣を磨く。そこに共通する挑戦の心。どんな小さな取り組みであれ、その意欲を保ち続けるのは至難の業である。諦めない人のみが勝利を勝ち取るのだろう。

たかがブログじゃないか、いや、されどブログなんだと薄れる決意を奮い立たせ、気の向かない自身を叱咤し、暖かなコメントに応えたいと、今日も挑戦を開始する。その積み重ねが1年へと繋がると言い聞かせ“ゴール”へと「精進」は続く。

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posted by Koumei at 15:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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